ザ・トキオ
平和
発表時期 |
1989年
3月
|
---|---|
種別 | 2種 |
玉貸機 |
現金機
|
羽根開閉時間(落とし、センター) | 0.3秒、0.6秒×2回 |
カウント&最大継続回数 | 8個&8回 |
賞球数 | オール13 |
いわゆるタワー止めで有名な羽根モノ。落とし入賞時の羽根開閉時間の短さ、V入賞の大チャンスになるタワーが止まる時間の短さが通常時のV入賞率の低さを実現している。逆に大当たりになると迫力の最高9個停留を実現することで、継続率の高さと大量出玉を実現した。
通常時、役物下段中央では東京タワーが反時計回りに360度回転→一時停止を繰り返している。中央で一瞬停止した際に玉が転がってきたらV入賞の可能性がある。それ以外のコースからのイレギュラー的なV入賞はほぼ望めない。
大当たりになると下段にストッパーが出現して、下段奥に最高9個の玉を停留できるようになる。ハズレ玉を1個カウントするか、羽根開閉16回で停留された玉は解除されてしまうので、それまでに多くの停留玉を確保し、それらの玉があることでタワー方向に玉が転がり継続するのが多くの継続パターンだ。停留解除でV入賞することもある。基本的に継続率は抜群に高いが、妙なタイミングでハズレ玉を1カウントするとパンクのピンチだ。
苦々しい思い出
これはあまりつぶやきたくはなかった事柄である。
『ザ・トキオ』といえばタワー止めの攻略法で有名になった羽根モノである。しかし、個人的には苦虫を嚙み潰すようなことがあり、あまり思い出したくないし、つぶやきたいとも思わない。
しかし、時を経て、しがらみも何も捨て、ちょっとだけ触れておこうか。
継続率が高い羽根モノとしてパチンコ雑誌で扱おうと、『ザ・トキオ』の機種写真を撮影することにした。平成元年のことである。当時懇意にしていた某ホールに開店時刻前にお邪魔し、まだペーペーだった自分は撮影アシスタントとして撮影者のそばで小間使いに奔走していた。
と。
エラー音が鳴り響いた。羽根開閉時の写真を撮っていて、大当たり中に玉を役物に入れなかったのだろう。ノーカウントエラーというやつだ。そこまで羽根モノに詳しくない撮影者はちょっと困惑し、音に反応した自分が店員さんを呼びに行ってエラーを解除してもらった。
この時にもう少し様々なことを追求していれば…。
結果は何も変わらなかったかもしれないが、エラー音を思い出すたびに複雑な思いが甦ってくる。
そして数ヶ月後。『ザ・トキオ』の攻略本を販売するという。人の褌で相撲を取ろうというのである。ペーペーなりに反論した。それはないだろ。少なくとも担当者にはなりたくない。しかし、とにかく編集者は少ないし、羽根モノといえば自分だし、やっぱりお鉢が回ってきてしまった。
ただ、攻略法の説明なんてほんの数ページもあれば可能だ。結局、羽根モノの役物をメインとした本ができあがった。ほぼすべての原稿を自分で書いた。どれだけ売れたかはわからない。評判も意識して聞かないようにした。
自分が関わった書籍、雑誌、ムック、DVD、その他は必ず1冊は保管していて、この攻略本もまだ持ってはいるが、開いたことはない。
同年末にザ・トキオAとザ・トキオB、ザ・トキオABが各都道府県の認可を受けているが詳細不明。