過去機種検索
昔懐かしの名機、
レトロ台をここで検索!

更新情報

50音 (389/1911)

グランドホーク

京楽産業

発表時期
1986年
6月
種別 3種
玉貸機
現金機
デジタル確率-
アタッカー開放時間(10個×8回)×3回
賞球数オール13

昭和61年に発表されて人気を得た3回権利モノ、といえば三洋物産の『サンタナ』が最も有名だが、同じような役物を使って同時期に登場したのが本機だ。他に、奥村遊機の『バトルロイヤル』、まさむら遊機の『ストライクイーグル』も同タイプとなる。

年末にはアタッカーを開放させる入賞口をアタッカー下に設置して出玉を安定させた『ニューグランドホーク』が発表されている。

天下のGRAND HAWKと書かれた部分の上にある左右の入賞口から役物内に玉が入ると奥に転がり、役物下段に出てくる。その下段中央には規則的に上下動を繰り返す可動片があり、入賞球に変化を与える。玉が、役物下段手前で常に回転している2つの回転体(右は時計回り、左は反時計回り)の真ん中を通り抜ければ権利獲得だ。

 

その後は左or右肩にある入賞口に玉が入ればアタッカーが開放。これを最高で8回繰り返す。なぜ最高8回なのか。当時の権利モノの大きな特徴の一つだが、左or右肩にある入賞口に8個入っても8回開くとは限らないのだ。システムとして、例えばアタッカーの6回目開放時に7個目の玉が左or右肩にある入賞口に入った場合、7回目の開放は約束されるが、その7回目の開放前に左or右肩にある入賞口に入ってしまうと本来は7回目だった開放が最終となってしまうようになっていたのだ。例えば4回目の開放時に立て続けに左or右肩にある入賞口に入って8個までカウントされると、結局5回の開放で終わることになる。なお、アタッカーへの入賞個数はアタッカー内の7セグに表示される。

 

左or右肩にある入賞口に入った玉は役物上段奥に1桁7セグにより表示されるので、左or右肩にある入賞口に入りすぎないように祈りながら打つか、ストロークを工夫するか。様々な対処法があった。

 

2回目の権利獲得時は役物下段手前で常に回転している2つの回転体の左側(小さくランプも点灯する)に入れば、3回目の権利獲得時は役物下段手前で常に回転している2つの回転体の右側(小さくランプも点灯する)に入ればそれぞれ権利獲得となる。その後の出玉の稼ぎ方は1回目と同じである。

「はい、パンクね」

 

『キングスター』(SANKYO)や『レッドライオン』(西陣)、『メリーゴーラウンド』(三洋物産)などの羽根モノで地道に稼いでいた昭和61年某日。ホームグラウンドにしていたホールに『グランドホーク』が設置された。ホール正面から入って一番右の準メインコーナーで、常に何らかの権利モノが設置されていたところだ。このホールの新装開店は数機種を入れ替えての18時開店が多かったけれど、たまに1シマだけ入れ替えることもあった。『グランドホーク』の入れ替えは後者で、初日に打つことができた。

 

基本的に、新装開店初日にはあまり打ちたくない。ホールが機種のことをよくわからずに釘調整することがあったし、打つほうとしても打ち方がわかりにくい機種があって損をすることがあるからだ。

 

打ち始めて1500円くらい使ったくらいだろうか。唐突に権利を獲得できた。その時点で遊技方法を理解してはいなかった。どうにかなるだろう、それくらいの中途半端な気持ちだった。『スタジアム』(三洋物産)を打っている際に後ろで熱心に俺の打ち方を見ていたこともある愛想は良くないが普段から適度にちょっかいを出してくるガタイの良い店員が興味深げにそばに張り付いて見ている。

 

1回目の権利を終え、2回目の権利獲得時。とりあえず役物内に玉をぶち込めばいいのだなと打っていると、そのガタイの良い店員が嬉しそうに打ち止め札を刺した。

 

「は?」

 

他の台は2回目とか3回目の権利を得ている。なぜ打ち止め?

「パンクだよ、パンク。はい、終わり」。

ちょっと嬉しそうに説明しやがる。

2回目の権利を得たのにさらに役物に玉をぶち込んだものだから、権利が消滅したのである。

 

こんな経験があったからか、他の堅実に勝てる羽根モノをメインに打っていたからか、可動体の動きを狙った止め打ち攻略はやったことがない。

 

パチンコでは攻略法だけではなく、ちょっと得する打ち方や盲点を突いたやり方などで大いに得をしてきたと自負している。ドル箱の玉をブチ撒いてしまったことはほとんどないし、財布の忘れ物や換金忘れもない。防げないパンクを除けば、この『グランドホーク』でのパンクは令和になっても忘れられないパチンコでの損の一つである。

 

ちなみにガタイの良い店員とは何のわだかまりもない。ちゃんと遊技方法を聞かなかった俺が悪いし、洒落っ気のある店員というくらいの認識だった。

Page Top