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50音 (1749/1911)

モンスターⅠ

SANKYO

発表時期
1987年
9月
種別 2種
玉貸機
現金機
羽根開閉回数(落とし、センター)1回、2回
カウント&最大継続回数10個&8回
賞球数オール13

Vゾーン手前にある突起物と効果音が素敵な羽根モノ。最終ラウンドに効果音が変化するのも楽しい。

Vゾーンは役物下段中央真ん中にある。羽根に拾われた玉が上段で奥に流れたらハズレ確定。下段に落ちて中央奥に向かえばV入賞の可能性があるが、その手前には小さな突起物があり、これによってV入賞を妨害されることもある。「あれ? 今、入ったんじゃない?」と思いつつハズレに流れる玉を呆然として見つめる…そんなことも多々あった。

大当たり後は、ハズレ玉を4カウントすると中央にドーンと構えるモンスターが口をガバッと開けたままになる。これにより、その口に入った玉はその下のVゾーン手前に落ちるので高確率でV入賞…というわけでもなく、台によっても異なるが40%~50%くらいだろうか。

パンクもするが完走(8回継続)もする。そんなところも魅力的な羽根モノである。

人生で一番食べた焼肉ライス400円

 

1日の多くをホールで過ごすパチプロ。「食事なんか摂っているうちは半人前」、そんなことも言われていたけれど、俺は痩せているのに食べないと頭痛がしてくるタイプだったこともあり、よっぽどお茶を引くような展開にならない限り、午後1時~3時頃がランチタイムだった。

 

食事札は、店員を呼んで食事に行くことを告げてもいいし、景品カウンターに自分で取りに行ってもいい。上皿に「食事中」の札さえあれば問題ないわけだ。時間は一応30分だった。

 

食事のために外に出て一番困るのは、出玉を盗まれることである。当時は小箱(400個~500個ほど入る)と中箱(800個ほど入る)がパチンコ台の下やシマの端に積んであって、それを使うのが常だった。3000個とか4000個の打ち止めになったらドル箱に詰め替えて景品カウンターへ。それが作法だ。

昭和末期のパチンコ店の客室はお世辞にも良いとはいえず、玉が入った小箱や中箱を置いて長時間、席を離れると盗まれることがあった。常連として通った6年間で数回ほど、盗まれる場面を目撃(友達の可能性もある)した。

 

どうするか。まず大前提として、小箱でも中箱でも、玉をテンコ盛りにする。触れたら玉が落ちるくらいにするのだ。これで、軽い気持ちで盗む人を撤退させることができると考えた。次に、ライターやペンなどを小箱や中箱の上に置いて台と接触させたり、突き刺したりすることで盗みにくくした(つもり)。そのおかげかどうかは不明だが、6年間で玉を盗まれたことは一度もない。

 

そうやって意気揚々と向かうのは決まって駅前の立ち食いソバの店だった。例外は一切なし。ホールから坂を上って100メートルくらい歩いた場所にある。いつも混んでいて、それゆえに昼飯時を避けて行くのだが、それでも午後2時くらいまでは鬱陶しいくらいの混雑の中で食事をすることを余儀なくされた。

 

食べるのはこれまたほぼ例外なく焼肉ライス400円。天玉そばなどのほうがすぐに提供される。焼肉ライスは注文を受けてから肉を焼くため時間がかかる。それでも焼肉ライス一択。味付けが自分好みだったからだ。

 

数えたくもないけれど、6年間で恐らく1000回以上、焼肉ライスを食べたに違いない。パチプロ廃業後は数回しか行っていないけれど、今でもあの独特の味は思い出すことができる。

 

そしてどうでもいい話ではあるが、この店、令和になってもまだ営業している。

モンスターⅡ
羽根開閉回数(落とし、センター)1回、2回
カウント&最大継続回数10個&8回
賞球数オール13

羽根が開くと肩チャッカーに入りやすくなるといういわゆるプラスαの入賞口を持つ羽根モノも同時デビュー。

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