さあ、前進
5号機から6号機の移行に伴いサヨナラしたホールが2件ありました。
4号機時代からよく通ったホールの閉店は寂しいものです。
東京だと、高田馬場のコスモや新宿のグリンピースは状況の折にはよく通っていました。
おっさんの戯言になりますが、20年から25年前の新宿は、パチンコパチスロ麻雀大好きなともぞうにとってそれはそれはワクワクする場所でした。
パチンコが2円台前半の交換率に統一されていた田舎と違って、2.5円、3円の交換率があった大都会はそれは魅力的でした。
しかも、10時の開店から午前中に当たると辛いラッキーナンバー台が無制限営業になり、ボーダー以下の台を探す方が難しい位。
地元で見たことない位釘の甘い、しかも交換率が高い花のモグラ組や、マジカルチェイサーを打つことができました。
無制限絵柄が1/4とか2/15なのに、午前中に当たるだけで持ち玉遊戯出来るとかすごく良い時代だったな。
歌舞伎町界隈のパチスロホールだと、今はもう無いですが8枚交換で高設定がわんさか有ると触れ込みのエルニド、等価交換のグリンピース、最後までクランキーコンドルが置いてあった宇宙センター等個性的なホールが沢山ありました。
パチンコやパチスロが閉店すると、一番街にあった遊学堂という雀荘で東風戦の麻雀にシビれていました。
蛭子能収さんと初めて同卓して、芸能人を初めて身近に感じたのもこのホールでした。
朝から晩までパチンコパチスロ打って、夜は麻雀。
少し休んだら築地市場で朝飯がてら酒を飲む。
タフだったなw
もう一度言います。
当時はパチンコ、パチスロのホールに行くだけでワクワクしていました。
最近はどうだ?
打てば間違いなく面白いのですが年を取って色々経験したせいかワクワクが足りない。
落ち着いて楽しめているのはすごくいいです。
生活を脅かすような遊び方もしなくなったし徹夜で麻雀打つようなこともなくなりました。
でも、没頭できる事があるのはシアワセだったと振り返って思います。
今でも旅打ちで似たようなことをしますが、20代の熱量はありません。
当時と違ってサウナやマッサージの楽しみが増えたのは選択肢が多くて素晴らしいと思いますがw
還暦を迎える頃、振り返って「いい遊び方が出来たな!」と思えるような遊び方をこれからも心がけます!
さあ、今日は休日。
これから大海物語スペシャル打ちに行ってきます!
今夜は、鯵の干物を仕込んでいます。
1本100円の鯵を開きにして、海水位の塩水に1時間位漬けました。
これを干し網で風に当てて夜食べます。
ボンベイサファイヤのジンソーダが待っている!ではまた。
コメント
10代20代はホールに行くのはワクワクしましたね。
新台入れ替えの争奪戦とか仕様も不明のBモノとか。
5000個で打ち止めの羽根モノとかも懐かしいですね。
白いシローさん
マンネリの安定感もそれなりに楽しいのですが、いつまでもワクワクする気持ちを忘れないようにするためにこれからも私は旅行に出かけます。
そして色々失敗しますw