遠くへ行きたい

旅の始まりはここからだった。

 

 

メイエキに着いたとき日本人夫婦に頼んでたけど結局は断られ。私が話しかけると泣きついてきた。翻訳機には困ってるんです。助けて下さい。ベトナムの人。言葉は全然通じないからさっきの老夫婦もつれない態度だったと思われるが、こういう人を見放しては悪代官ゴーニィの名がすたると思って相談に乗る。何々、松本まで行くのに長野行き新幹線の切符を買ってしまったみたい。「間違えて買ったんです。払い戻して新しい切符を買ってください」。ってことなので事の次第を駅員さんに伝えて松本行の切符を買うところまではお手伝いをした。駅員さんが機嫌悪そうに。「えー松本までの切符ですかー」。如何にもやる気のなさそうな態度を示したがここはひとつ人助けと思ってやってくださいよとしきりにお願いする。「ハイハイ、分かりましたからしばらく待っといてね」。新しい切符にかえて、乗り場までの道案内を書いておくからと言われたので、ここでお別れ。別れ際にお互いに写真を取り合って別れたけれど旅の始まりは1日1善でした。

 

 

地震のため新幹線が5分遅れてる。貴方はなあんにも感じないだろうけど、この時点で私は危機感ありあり。5分遅れると岡山に着いた時マリンライナーに乗れるかな?ってことですよね。新幹線乗り場からちょっと離れたところに坂出行マリンライナーが到着する。降りたらスタートダッシュだな。

9:23発広島行きのぞみ113号

1時間40分で岡山駅に到着した。流石にのぞみは速い。昔ウルトラQを見てた時。地底超特急西への中で、博多から東京まで2時間で着くという構想があったことを知ったが、そう遠くない時代にそんな風になりそう。無事マリンライナーに乗り込んだ。慌てて走ってきたけど、地震で遅れてるからしばらくは待っとくよ。

 

 

マリンライナーは瀬戸大橋の下を走る列車です。車で10分、僅か10kmの距離だけど今日はやけに遠く感じたな。
 

 

坂出ー。坂出ー。

坂出駅に到着です。家に帰るなら端岡駅まで行くんだけど、懐かしの高校を訪れたいので坂出で下車。
 

坂出高等学校の看板を頼りに高校まで辿り着く。右に曲がると
 

白塗りの壁。瓦。松の木がずらりと並んでいる。

 

坂出高校は本当に雰囲気のある高校ですね。久しぶりに訪れて、校舎は建て替えられてたけど雰囲気は昔のまんま。まあ9年前にここを訪れた時は旧校舎の中に入って高校時代を思い出したけど、その年の夏に新校舎に変わったので今回は中には入りませんでした。ただやっぱりサカコウはサカコウ。タカコウ、マルコウ、サカコウとあるけれど進学校の中でもひと際趣がある坂出高校の存在感は今も尚健在素晴らしい。


高松高校
丸亀高校
観音寺一高
高松西高
高松一高
坂出高校


タカコウ、マルコウ、カンオンジイチコウが県内のエリート。坂出高校は全体の6番目なのでさほど優秀な高校ではないんですけどね。ただ私はこの高校の雰囲気が1番好き。何度人生をやり直しても坂出高校を選ぶでしょう。
 

 

坂出からは八十場、鴨川、讃岐府中、国分の次が端岡です。
 

端岡は無人駅です。昔
 

まだ1歳か2歳の頃なんですけど。おばあちゃんに抱っこされてこの駅まで来ると、そこにはポッポーッと汽笛を鳴らしながら蒸気機関車が入ってきたんですねえ。「もうな、この機関車は今年で終わりなんやで」という祖母の言葉を今でも覚えとるんですけど、SLが走ってた最後の年でした。
 

 

 

香川県にはこういう小川がいっぱいあるんですけど、これは川ではなく「いで」と言います。井出と書くらしいけど田んぼに水を給水するための水路です。
 

ほどなくして家路に着きました。
 

 

途中でがらん山に出くわしました。二つ並んだこぶみたいな山は左ががらん山で子供の頃よく山登りして遊んだところ。写真左の岩肌があるところまで登って遊んでましたね。この写真の道路を真っ直ぐ行くとからとの坂。登って尚も走り続けると、銀星宿舎のところまで辿り着きます。

 


 家に着くと私は真っ先に灯篭のところまで行きました。ここも右側にいでがありますが、いでに落ちない程度のところで、私はこの灯篭に向かって野球のボールをぶつけて遊んでた。この写真の右側が割と広い田んぼになって、そこで夏場は毎日野球三昧よ。

 

 

まあ罰当たりっちゃ罰当たりなんやろけど。金毘羅大権現と書かれた灯篭めがけて野球のボールを投げるその姿は近所の人から見れば異常だったと思うけど、私に罰当たりという概念が全然ないんでOK牧場。人が10人集まれば水路(いで)の右側に見える田んぼで野球。野球といっても実質ソフトボール大会の為のバッティング練習みたいなものですが、近くの中学校から飛んでくる野球ボール勝手に拝借して使ってた。ただし下手投げで打ち返すだけですがね。ファーストとサードとライトとレフトとピッチャーだけ。キャッチャーは攻撃側が務めるんで5人対5人の試合です。ライトとセカンドが共用でレフトとセンターが共用。サードとショートが共用という変則的試合ですが、田んぼではゴロがはずまないし、こんなもんで十分野球になりました。もち三角ベースですがね。そういう訳で人が集まれば田んぼで野球だけど、誰もいない時は自分ひとりで


巨人対阪神戦

ひとり野球ですわ。


一回の表阪神の攻撃は1番ショート、藤田平。ピッチャーは高橋一三振りかぶって投げましたって言いながら灯篭めがけて軟式ボールを投げつける。すると大抵は面に当たってゴロが飛んでくるんでショートゴロとかサードゴロって勝手に言いながらアウトカウントが増えていく。極稀に灯篭のカドのところにボールが当たるとキュイーンって高く上がってボールが飛んでくる。其れが自分の頭を飛び越えていでに落ちるとか田んぼまで飛んでくとホームランってことにしてました。其れを1回の表から9回の裏までやるんでひとり野球。

ひとりで巨人阪神戦をやってたという次第。


其れが投げる練習とゴロを捕球する練習になると思ってやってたものですから本当に馬鹿げてると思うけど、子供の頃は其れが楽しかったからふっしぎー。小学生5、6年の頃。

 

これが実際の田んぼ。右側の白いフェンスのとこまで昔は田んぼだったし、目の前の家はありませんでした。かなり広い面積の田んぼだったけれど私にとっては単なる野球の練習場ですから、この田んぼの持ち主は相当困ってたと思います。目の前にある家の左の片隅にほんのちょっとだけ見えるのが国分寺中学校でございます。

 


 

翌朝端岡駅までいくついでに国分寺中学校に立ち寄りました。家からはすぐ近くです。この写真が野球部の練習場で目に前にホームベースがあります。
 

 

ここでほぼ毎日のようにバッティング練習してました。左側に見える緑色のネットを二つ置いて、二人が同時にバッティング練習。私は右投手用の練習と左投手用の練習をやろうとしてて、右投手にマウンドから1メートル左に寄って貰って打撃練習をしてましたね。こうすると左ピッチャーが投げたようになるんですけど、これは全く打てませんでした。インコースのデッドボールって思った投球がど真ん中なんです。で、ど真ん中に来たってバットを振ったら外角に外れるクソボール。ストライクゾーンが全然分からんで打ち難かったですわ。テレビでも左投手が投げた外のスライダークソボールを何で大谷選手は振るんやろうと思って見てるかも知れんけど、あれバッターから見るとストライクに見えとるでね。それくらい左投手が投げるボールは左打者にとっては分かり難い。打ち難い。基本背中から投げられてるような感じなんで球の軌道が右から来るのと左から来るのとでは全く違う訳。私が中学2年間野球で学んだことは


左バッターは絶対に
左ピッチャーの球は打てないってこと。

 

 

野球の練習場をそのまま右のほうに向かって進んでいくとプールがあります。この時期は夜でもクソ暑いので私は高校の1,2年生の時はこのプールに勝手に忍び込んで泳いでおりました。勿論夜。端岡駅に近づく汽車の汽笛の音。ポッポーって音を聞きながら、目の前には満天の星空を見上げながらプールに浮かぶのは快感そのもの。超気持ちいい。水風呂にでも入ったかのような気分で夜の8時から9時くらいまでプールで泳いで暑さをしのいだ高校時代。楽しかったですねえ。汽車の音を聞くと、不思議と好きな女の子の顔を思い起こしてしまうのであの感覚は何だったのかと今でも思う。ひとつ学年が下の子だけど大抵通学列車の中で一緒だった。その子を目当てにその子の近くで座ろうとしてた記憶がある。


これが国分寺中学校なり。
 

 

多分僕はこの正門から入ることはなかったと思う。さっきのプールのとこから学校に入って行ってた。
 

 

端岡に着くとまだ自転車置き場が残ってた。借り賃は毎月500円くらいだったか?然しまだ残ってるとは思わんかった。
 

 

この図面でみると端岡より左が西讃で端岡より右を東讃と言う。高校に進学するには住んでいる住所が重要で西讃の人間は東讃の高校には行けず、東讃の人間は西讃の高校には行けず。実質


東讃の人間は高松高校がナンバー1
西讃の人間は丸亀高校がナンバー1


ところがちょうど真ん中に住んでた僕は東も西もどっちにも行けたんで、県内ならどこにでも行く権利がありました。その過程で最初は野球の名門高松商業に行くつもりだったけど、中学の2年間で野球の才能が全くない事に気付き、私は野球を捨てて坂出高校に行くことにしたんであります。

この路線図の中で右(東)の方に三本松という駅があります。ここが今回の旅の目的。


各駅列車で端岡からは1080円。ところが7時40分に駅に着いて次の列車を尋ねると何と8時40分まで来ないんでやんす。然も各駅なら1時間半はかかるというので、私は特急券を760円で購入し三本松まで行くことにしました。という事は1080円プラス760円×2ですから1840×2で3680円ものお金がかかるんですけど、そうまでして行きたいのは


そこでしか買えないお菓子があるから。
 

 

三本松の駅を降りるとすぐ目の前に巴堂のぶどう餅がありました。


昔は色んなところで買えてたんですけど、今はここ三本松の巴堂でしか売ってないんで買いに来たという次第。このぶとう餅が食べたくてという事なんですけど、会社の人達とかあとであう村上亀吉さんにもあげようと思って買いました。久しぶりに食べたけど昔とおんなじ味でしたね。


その前の日


高松駅に着きましたけど高松駅は昔とは全然変わってましたね。様変わりする駅周辺にびっくりしながらこの日は香川大学までまいります。まずは高松駅から中央通りを南に下り番町交差点まで行って右折します。ここに中央公園があるんですけど、昔はここに高松中央球場がありました。プロ野球の公式戦もやってた球場ですが今は公園に変わってます。


中央公園を西に向かって突き進むと

香川大学教育学部です。
 

こちらが正門
 

大学生協です。学食をここで食ってました。

 

教育学部、正門、経済学部と南下してさらに南下すると坂に行き当たります。これが銀星への入口です。

この坂のてっぺんまで登ると銀星宿舎です。私が住んでいたアパート。
 

中に入ろうとしたけど鍵がかかってて入れませんでした。多分ここは今は誰も住んでいなさそう。
 

 

写真の赤で囲んだところが私の部屋でした。洋子はんと暮らした部屋。同じ宿舎に

高杉、平松、広瀬との香川大学4人カルテット

西脇はんと一緒に過ごした3年間でしたね。


今回香川に帰ってきて、愛知県に出てくるよりも一生香川で過ごした方が幸せだったかなあとふと思ったんですけど、そういう話になると必ず出てくるのが就職先。香川県だけで過ごすためには公務員になるのが1番だけど、大体公務員になるか大学進学するかの選択肢が高校2年の年末だったと思う。一時は大学受験を諦めていたから、高校2年の秋に税務署の試験を受けた訳。其れに合格しそのまま税務署に行って、税理士の資格を取るという人生の選択肢もあった訳だけど、親戚の叔父から高卒と大卒の人生の給与モデルを聞かされた時に気が変わった。あの時気が変わったからこそ大学受験勉強に至ったのであり、其れを否定するのか肯定するのかの判断は今でも難しい。

 

確かに今になって思えば
公務員で一生暮らした方が楽だったし、老後も幸せだった。


でも私は、そもそも論として人生の賭けに出たのではなかったか?
人生の賭けには負けた。シャープはブラック企業だったから。
でも賭けに勝てるか負けるかはやってみなけりゃ分らん訳だから


(1)高校2年の時税務署合格を無視した⇒大学進学を目指す。
(2)大学目指すなら国立大学しか行く気はなかった⇒金がなかった。
(3)国立大学に行くなら公務員になる理由はなかった。
大学出て公務員になるくらいなら、税務署に行ってるわって話。矛盾するのは嫌だった。
(4)香川に残るのであれば高松市役所とか⇒完全に矛盾する。
(5)大学を卒業し民間企業なら転勤を伴う大企業を目指すのは自然だった。
(6)香川相互銀行とか114銀行なら四国に残れるけど、香川県だけとは限らなかった。
(7)大体自分に銀行マンとしての適性があるとは思えない。


香川大学経済学部は銀行マン養成学部だから皆銀行マンになるんですけど、そうなった時の自分の人生は楽しかったのかどうだったかとなると厳しい人生だったに違いないと思う。銀行マンって給料は良いけどおもんないよう。そんな人生を送るくらいならパチプロになった方がよっぽどおもろいと思うけど、何度考えても自分が銀行を選ぶとは思えないので(6)の選択肢はないと思う。ならやっぱり大学に行ったか行かなかったかの分岐点だと思うけど

 

ここでひとつ


西脇はんに出会えないうような人生は悲しい。香川大学に行ったからこそ西脇はんに出会えたわけですが、万が一高校卒業して税務署に行ってたら、好きな女の子に好きとは言えない人生を送ったに相違ない。小学、中学、高校と片想いだった女生徒はいたけれど1度も好きだと言った事はないので誰かに教えて貰わない限り、私は好きな女の子に好きとは言えない人生だったと思う。だから大学に入って西脇はんに出会ったことは私の運命だったと考える。その出会いがなければ私は


女性には縁がない人生だった。


そんな人生が楽しいかというと楽しくないに決まってるので、大学入って西脇はんに出会って、洋子はんに出会って過ごした人生の4年間は私にとってかけがえのない時間ではなかったかと思う。となると香川に残るには、香川県だけの地域採用を求める企業に就職するしか道がなかったのか。


(1)公務員は税務署に行かなかった時点で選択肢はない。
(2)大学出ても銀行員だけは私には無理。
(3)大学出て香川県だけの地域採用企業に入る。
(4)大学出て上場企業に入れば全国区で転勤がある。


西脇はんとの出会いを肯定するとなると私にはあまり選択肢がなかった。


これまでの人生で最も影響力を及ぼしたのは、西脇はんであるのは間違いないと思うので、彼との出会いを否定するのは難しいから香川に残るか残らないかは、就職先が決まるかどうかに委ねられていたのかもしれない。自分の人生を自分で決められないのは悲しいけれど其れが現実。洋子はんとの人生を考えていなかった訳ではないので地域採用として大正製薬応募に動いていたわけですけど


(1)大正製薬地域採用⇒不合格
(2)シャープ全国採用⇒合格

 

大正製薬から内定を取り付けられたら洋子はんとの人生を選んだと思うけど、其れが叶わなかった時点で自分の人生は決まったのかもしれない。シャープ入社⇒愛知県配属⇒パチンコに染まる。これは止むを得なかった。


あまり選択肢のない人生だった。


選択肢がいっぱいある人生ならば、右か左かで大いに悩めばいいと思うし、其れが貴方の人生です。1980年代は日本経済が右肩上がりで大量生産、大量消費の時代にあって、超一流企業でもブラック企業花盛り。自分の人生は日本経済の犠牲になったと言えなくもないです。

※西脇はんの話は韓国ドラマ「品性」の中で書いております。
2023年の12月31日投稿です。
 

銀星宿舎から見た景色。かなり山の高いところにあるってのが分かると思います。昔は自転車でここまで登ってました。

 

 

銀星からトキワホールまでの道中は昔書いたと思いますが、大体田町商店街からこの派出署の前を通ってトキワ街に入りました。
 


派出署の向こう側に見えるのが南新町商店街で、この右手にトキワ街があります。
 

この写真のtokiwagaiと書かれた商店街を右に向かったところにトキワホールがありました。

 

 


大体こんな感じでしょうかね。銀星宿舎の坂を自転車で駆け下りて、中央通りまでたどり着くと中新町の交差点に行き当たります。そこから田町の商店街を通り、派出署を走り抜けてトキワ街に入るとすぐそこにパチンコトキワホールがありました。大学1年の夏まではほぼ毎日のように銀星からトキワホールまで自転車で来てましたね。

今は更地になって駐車場になってましたね。

 

懐かしのトキワホール。

大学1年の後半までのお付き合いだったと思います。大学2年になると色んな店に遠征に出るようになりましたが、それまではほぼトキワホールだけでパチンコやってました。無論ボクシングとタコフィーバーですが、ボクシングの伝説の99勝1敗はこの店から始まった。そのボクシングが撤去になった時に一時デジパチでは勝てなくなったけど、その年のお盆休みにあることがきっかけでタコフィーバーで勝てるようになったのは昔書いた通り。角からの2番目。300円入れて打ち出すと徐々に玉が増えてくる。


当時高杉、平松、広瀬のパチンコカルテットはタコフィーバーよりも、平和のブラボー朝イチモーニングに無中。この店はヤクザさんの資金源になってたお店なのでブラボーにはヤクザさんも目を付けて黙っちゃいない。自然と香川大学生VSヤクザさんとの熾烈な戦いが繰り広げられました。多分朝イチには5台くらいは入ってたと思いますが、その5台を高杉、平松、広瀬とヤクザさん5人くらいが毎朝取り合いをするのです。1回当たると1万円出る時代です。


776,778,767,787,334,332,343,323の朝イチ出目がある台は

最初の当たりだけは大当たり確率が1/30くらいだった。


開店と同時にスタートダッシュしてブラボーの朝イチ出目を取り合いするのですが、私は其れよりもタコフィーバーの角から2番目の方が良かったので、あんまり朝イチモーニングの競争には加わらなかったですね。玉が増えてくるタコフィーバーは角から2番目だけでしたが、この台の存在に気付いてたのは私だけで高杉、平松、広瀬には私は言わなかったですね。無論ヤクザさんにも気づかれないように毎朝、ブラボーには目もくれずまずはこの角2を押さえ遊技開始です。

 

他の誰かに見つかってしまうと激しく取り合いするのは目に見えてたので


私ひとりで、毎日毎日角から2番目を遊技して、300円入れてパチンコやってる。正直ずっと当たらないで欲しいといつもいつも願ってました。5時間くらい当たらないのが最高嵌りかな?その時は小箱1500個の箱を3箱ほど出しましたがね。5時間当たらないと4000個プラス最後に大当たりして4000個だから。300円入れて8000個貰える訳やね。高杉、平松組はブラボーの朝イチモーニングに成功するとその後は大学の講義に出掛けて行きました。私はその後もタコフィーバーでクソ粘りして人知れず。誰にも気付かれずにタコフィーバーで勝ちまくりました。多分角2の1万円だけでは飽き足らず、1日平均では2万円くらいの日当を稼いでいましたかね。2万円×100日で都合この店のタコフィーバーでは200万円くらい抜いたと思います。結局この店では


1年くらいのお付き合いでしたけど
ボクシングで50万円
タコフィーバーで200万円
稼がせて貰いました。思い出のトキワホール。

(1)トキワホール
(2)タイホウ熱田店
(3)パチンコ三洋

人生のアナザースカイ。3本の指に入るパチンコ店ですね。


という事でトキワホールがなかったら私のパチンコ人生もなかったと思うけど、表玄関が高松駅ならば裏玄関はトキワ街の瓦町駅。この駅周辺が高松イチの繁華街にあって、その一角にトキワホールが輝いていた時代。古き良き時代にございます。
 

琴平電鉄の瓦町駅です。

香川県は殆どがJRですけど
JR予讃線(伊予と讃岐)
JR土讃線(土佐と讃岐)
JR高徳線(高松と徳島)
それ以外の私鉄では
琴平電鉄しかありません。
 

瓦町駅から見たトキワ街。入ってすぐ左側がトキワホール
 

 

トキワ街
田町
南新町
丸亀町
ライオン通り
片原町
兵庫町

商店街には全てアーケードが付いていて雨風を凌ぎます。
 

ライオン通り商店街の入口
 

ライオン通りと丸亀町は並行して通ってるんですけど、その路地裏にはいかがわしい店がいっぱいです。所謂歓楽街になっており、札幌のススキノ、名古屋の錦みたいな感じの雰囲気です。パチンコが終わって飲みに行くときはこの辺の店に来てドンチャン騒ぎ。


この日は高松駅から歩いて香川大学まで行って、その後銀星に登って昔を懐かしむ。坂を下りて中新町の交差点から田町の派出署と南新町とトキワ街の分岐する場所まで到達し、その後瓦町まで歩きました。その後はアーケード付の商店街を全て歩き終わったところでこの日は終了。1日に10kmくらいは歩いたかな?クソ暑いけど懐かしさに浸れて家路につく。


3日目は高松まつりの花火大会を見に行ったけど大したことはなかった。来年は14日の総踊りに行くことにしよう。


花火大会に行く前日、母が私のズボンのポケットを見てボタンがない事に気付く。私も今回の帰省で新幹線に乗る前にそれに気付いていて、財布の中には現金を5000円だけ残して、残りの金とカード類は旅行カバンに入れておいた。ズボンの左ポケットに入れればスリに会うことはないんやけど、そうなると財布の重さが気になって嫌なんですよね。財布は昔からお尻のポケットに入れると決まっててそこにボタンがないもんだからスリに逢いそうな気がしたわ。母もそれに気付いてくれて、ボタンを付けてあげようかといってくれる。何とも優しい。かつては洋裁工の仕事をしてたものですから、私の母は意外と器用なのです。左側のポケットに穴をあけてその周辺を糸で縛り、その内側にボタンを取り付けてくれたので大丈夫。これでスリにあうこともなくなった訳ですけど、久しぶりに母の優しさに触れて感謝感激。母は私が高校時代には、何とスタジャンを手作りしてくれましてん。3着くらい作ってくれたと思うけど、冬場は母の手製のスタジャンを着て過ごす毎日だった。その頃の思い出がよみがえってきてなんとも幸せな帰省となりました。何日か母と一緒に暮らしてると、田舎暮らしのありがちな不幸話に遭遇。

 

私の兄弟は男ばかりの4人兄弟ですが、未だにパチンコとかパチスロやってるのは私と四男坊だけ。奴が勝った時には1割は母に渡してるそうで、3万勝ったら3000円、5万勝ったら5000円を母にプレゼントしてるみたいでそこまでは良かったのですが、問題はその金をいつも決まったタンスに入れてたってこと。タンスって言ったって台所でみんながご飯食べる目の前にあるものだから、お金をしまう姿を誰でも目撃してるわけ。ある程度金が溜まったとある日にその金がなくなってたことに気付いたそうでした。


身内にネコババされたんやと思うけど、そりゃ金入れてる姿を大っぴらに見せてるようではアカンはなあ。これはネコババした奴よりも母の方が断然悪いわと笑いながら話してたけど、それ以来お金を別の場所に隠してるそうで「今はここに置いとるんじゃ」ってにやりと笑う姿を見て面白かったわ。お金だけはいくら身内でも


絶対信用したらアカンでえ。


私なら誰にも分らんとこにしもてる(隠してる)けど、これに懲りてお金を隠す場所だけは誰にも見せたらアカンでいって言いながら私の目の前でお金を隠してたからやっぱアカンはこの人は。無論たまにしか帰省せん私が母の金を盗むって頃は有り得んけど、そうじゃなくって私にも兄弟にも誰にも見せたらアカンのよ。いくつになっても母の不用心さは治らんなと思いつつも田舎ではこれも可なり。笑い話なり。まあ母の優しさは存分に感じ取れた今回の帰省なれど、もうええ歳になったからこれからは毎年帰るつもり。今までは誰にも言えん理由があって、長年帰省できなかったけど最近になってようやく「問題がクリア」されたから、今年は帰省したという事です。

 

今回帰省して高松の街を歩き回って、昔懐かしい場所に行ってきましたがやっぱり高松は良いところです。香川大学も中央通りもアーケード付の商店街も全てが素晴らしい。大学を出るまでずっと香川に住んでて特に大学の4年間は高松市にどっぷりとつかる毎日でした。其れと今住んでる愛知県を比べるとやっぱり、愛知よりも高松の方が良いですなあ。

 

香川県で一生暮らすことも経験してみたかった。

そうなると洋子はんと生涯を共にする人生だったのだろう。


母に別れを告げて翌朝にはもうひとつの目的地。福岡を目指す。


福岡県福岡市博多区


何故福岡には新幹線福岡駅がないのだろう?新幹線の駅は福岡ではなくて、博多駅である。一般的には福岡市と博多市があると思ってる人がかなりいるんじゃないかと疑ってるけど、この町は北九州市と福岡市のふたつが人口100万人都市。ひとつの都道府県内に100万人を超える町が複数あるのは福岡県だけだと思う。今回福岡にお邪魔する気になったのはパチンコビレッジの同志「村上亀吉」様にお会いするためであります。彼はキリタカRXさん時代からの読者様という事でかなりのコアユーザーであります。キリタカさんの記事も相当面白かったけど、彼女なきあとは彼女の分まで頑張ろうと思いながら記事を進めてきました。てっきり私の記事は最初から読んでいたのかと思いきやさにあらずで2013年とか2014年の頃の記事は読んでいなかったみたいです。


多分2015年頃からのお付き合いなのでしょうね。

 

博多駅に到着すると筑紫口出口で待っているとの連絡があったので、1Fにおりてスターバックスを目指すと彼の方から話しかけてきました。もっと恐面の人だと思ってたんですど、実際にお会いしてみると可愛い顔してたので少々戸惑い。私より5歳年下という事は知ってましたが体格はスポーツマン体系。体重が100kgを超えるらしいです。お仕事で使われてると思われるタクシーで迎えに来てくれたので、その場でまずはタクシーに乗り込んで博多の街を案内してくれました。

「いざゆけ若鷹軍団」

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玄界灘の潮風に

鍛えし翼たくましく 颯の如く颯爽と

栄光目指し 羽ばたけよ

いざゆけ無敵の若鷹軍団

いざゆけ炎の若鷹軍団

 

玄界灘を通りながら進むと左手にどでかいPAYPAYドームが見えてきました。思えば福岡の地でプロ野球が始まったのは平和台球場。


エース稲尾を軸として打線では
大下弘(青バット)
中西太(高松出身)
豊田泰光
西鉄ライオンズの黄金時代があった。西鉄はその後埼玉に本拠地を移転したが、その後にはまったのが

南海ホークス⇒福岡ダイエーホークス⇒ソフトバンクホークス


という事でライオンから鷹に変わりましたけど野球に対する福岡の熱狂的な思いは今の時代に引き継がれており、ソフトバンクホークスは巨人にとって代わって今では野球界の盟主であります。


福岡市内をひと通りタクシーで連れて行ってもらった後、この日の宿にチェックインして荷物を置いてきます。宿といってもカプセルホテルなので無人チェックインですが、困ったことに200円の宿泊税が現金支払いできなかったので、ドアを叩いて人を呼ぶことに。現金では支配できないんですけど特別に今回だけは許すと言われて何とか事なきを得ましたが、カプセルホテルでは基本電話も通じないし、誰かと話すこともないので色々と面倒です。PAYPAY使ってれば問題ないんですけど、私の日常生活はほぼ100%現金支払いなんで慣れておりません。


博多ナインアワーズ
 

 

ホテルまで連れてきてもらった時にこっそりと亀吉さんのお姿をパシャリ。タクシーにも村上亀吉タクシーと明記されてます。


博多区内をひと通りタクシーで連れて行ってもらった後は、喫茶店で小一時間過ごして食事に向かいます。その喫茶店で色々と話込みましたけれど、彼は私が思ってた通りの人でした。まずパチンコは低貸しで好きな台を適当に遊ぶだけのお付き合い。無論4円パチンコに参戦してもよかですが、今のところタクシーの本業が主なのでパチンコは数カ月に1度のお遊び。福岡は元々低貸し店が強いから1パチだけでもええんでしょうけど彼の好みはかなり変わってるんでどこでもパチンコできるって事ではなさそうです。かなり狭いストライクゾーンだけに的を絞ってドラマを観る。パチンコをする。女性との夢を見るタイプだということが分ったので、なかなか話の接点を見つけるのは難しそうですがこの次に行った水炊きの店は良かったですなあ。

 

喫茶店のお次は博多で有名な水炊きの店


ここに私と彼が対面で座ってたのですが、彼の隣の女性が気になって仕方がない。誰やったやろかなあって考えてると

秋吉久美子さんですわ。


秋吉久美子さんとよく似た美人が亀吉さんの隣に座ってるからその姿が気になって仕方がない。30代半ばのどえりゃい美人だったけど、亀吉さんからの角度では秋吉久美子には見えなかったそうで韓国人女優っぽいとのこと。


料理は水炊きをメインとしたコース料理になっておりましたが、私はビール1本でおしまい。彼はビールのあと酎ハイを何杯もやってまして、8時になる頃お次は何にしましょうかねって尋ねてくる。変わった女性がいるキャバレーかお坊さんのスナック。お坊さんのスナックにはかなり惹かれたけど、この時点でもう私はお腹一杯。最近は歳なので酒も弱いし、食事の量も極めて小食だから。色々と気遣ってくれた亀吉さんに申し訳ないと思いながらも「お坊さん」の接待は次の機会に楽しませて頂くことにしよう。何から何までお世話になって、お会計までお世話になって本当に申し訳ないですけど

 

今回の旅では村上亀吉さんの優しさに触れて満足です。

 

思った通りの人物でした。色々と人に気遣いができる人。ツイッターでは自分の事を気難しいと仰ってましたけど、そんなこと言い出したらこの歳になると誰だって難しいものです。パチンコビレッジをやっていなかったら絶対に逢うことがなかったふたり。できれば吾郎さんにもお会いしたいと思うとりましたが、吾郎さんは人見知りが強烈というので断念。ユリアさんには1度会ったことがあるし、無論BarBer兄とかてんてんさんにはしょっちゅう会うので問題なし。ビッグドリームさんとはパチ屋でしか会わんけどそういう関係もまた素敵なㇼ。


パチンコビレッジをやっていなかったら会ってないだろうなという人が何人かいます。


そういう事があるから継続は力なり。やってよかったと思える。


これからもよろしくです。

 

年に1回くらいは香川に帰ろうかと思います。今まで帰省する過程で、淡路島経由だけは1度も通っていないので今後淡路島横断を計画してみたいけど、案内の中にETC限定って書かれていたような気がするのでそれが問題となるかも。今の軽自動車を買った時に高速道路を走ることは考えていなかったからETC非搭載です。今後はETCをつけるかも知れません。今回旅してみて40年ぶりの讃岐うどんには失望しました。美味いうどん屋は沢山あるんやろうけど、そんな店には行列をなしている。昔はそんなとこ行かんでもどこで食しても讃岐うどんはピカイチやった。香川大学周辺には何店舗も美味いうどん屋があったけど、今回尋ねると其れが全滅。1店もあらへん。


たまたまトキワ街を出たとこのうどん屋さんに入ったけどここのうどんがまっずー。家の近くのうどん屋さんにも連れて行ってもらったけど、そこのうどんもまっずー。40年前にはまずいうどん屋さんなんか1軒もなかったのに、今では美味いうどんは行列をなして並ばんと食えんのか?讃岐うどんの品質が激落ちしてるのを感じてかなりショッキング。坂出高校時代には、私は月曜日から土曜日まで毎日学食のうどんを150円で食べてたから。毎日毎日1日も欠かさずうどんを食べていた身としては


余りにも辛い。

 

今回目的を果たせなかったものに
(1)金毘羅さんの階段を久々に登る。
(2)屋島寺と八栗に行ってみたい。
(3)もう1度だけ五色台を攻めてみたい。
(4)美味い讃岐うどんを死ぬほど食べる。


まあそんなとこ。

金毘羅さんの途中に出店が無数にあるんやけど、その一角に洋子はんの親友(女友達)がやってる店がある。屋島寺には苦い思い出がある。大学1年の初詣。私の私の人生「初ナンパ」したのが屋島寺でございます。多分私の今までの人生で1番きれいな女性やったと思うけど、その日の出来事を思い出してみたいから。京都産業大学と松山商科大学と私の3人連れが男側で、相手はひとつ歳下の高校3年生。名前も聞かずに、電話番号も聞かずに何しとったんって思うけど、当時は女の子に話しかけることもできないほどおくてやったのに勇気を振り絞って、「この車で一緒にどっか行きませんか」と話しかけると「ウン」と答えてくれたあの子に感謝感激。


もう1回そこに行ってみたいわ。

コメント

  1. 村上亀吉より:

    ゴーニィ様

    今回は、遠路はるばるお越し頂きありがとうございました

    私と同じで、世代的にあちこちパチパチと撮影するタイプではないんだな~と思って居たので、撮られていたとは気づきませんでしたが、改めて見ると自分の横顔がまん丸で、ちょっとガッカリ…(^-^;

    今回は大したおもてなしも出来ませんでしたが、次回お会いする機会があれば是非、肉まみれ欲まみれの酒池肉林の一夜を楽しみましょう

    腰痛も殆ど治まり、お話した踏み台昇降も少しずつ時間を増やしながらやって居ます

    ゴーニィ様もどうぞお身体お大事にお過ごしください

    ではまた~(@^^)/~~~

    2024年8月19日 PM 10:07
  2. ゴーニィ より:

    村上亀吉様

    いやいやどうしてかわいい顔してますよ。

    酒池肉林とはいきませんが、次回はもうちょっと長い間酒におぼれてみたいです。今回は旅の最終日という事もあって全体的に疲れていましたね。

    真夏の夜は長いし辛い。


    それでも香川とか福岡は愛知よりはまだマシ。

    愛知県が1番酷暑だなあと思いながら記事を書いていました。

    2024年8月19日 PM 10:56
  3. ゴーロ吾郎より:

    その昔 社会(歴史?)の先生がいってました。テレビなんかでやっている悪代官も居たはいたけど、普通の代官よりもマシだと思っていた庶民もいたと。

    その理由がお上は祈っても頼んでも自分らのことは何もしてくれないが、悪代官は金さえ払えば融通をきかせてくれた。ある意味悪代官は人情味があったとも言えるんだと。

    冒頭のエピソードがそれを裏付けておりました。口だけではなく行動でも示すってことなんですね。

    ご旅行楽しかったようで何よりです 昔話もあり やはり人は宝なりですね。こうした時代の話って人から教えて貰えないと分からないですから本当に貴重です。

    そういえばウドンの話で思い出しましたが、素麺で揖保乃糸ってあると思うのですが、あれってランクがあるんですってね。高級品だと素麺に巻いてある帯が黒帯?だとか。となるとウドンでもやっぱりランクがあるんでしょうね。

    なんかむかーしきいた話だと香川は水が違うからウドンが美味しいとか聞いた気がします。丸亀製麺で満足している私には縁遠い話ですが、ウドン日記も見てみたくあります\( 'ω')/

    2024年8月19日 PM 11:28
  4. ユリアより:

    とても楽しみにしてました。
    xで様子を見ながら待っておりました。
    何度も重複しますが、昔の記憶がつい先日のような語りで凄いですね。
    読んでてもなんとなく一人野球の姿や学生時代の頃の情景が浮かんできます。
    村上さんのタクシーにそのままネームが入ってるの面白かったです。名前が入ってるタクシー初めてみました。
    xで見たドアが手動ボタンの電車ですが、琵琶島と勝川間の電車も自分で乗降時にドア開ける電車だった気がします。
    四国は一回だけ一周しましたが、覚えてるのが四国カルストだけなのでもう一度回ってみたいです。
    ETCは2万でお釣りが来るので是非また帰郷旅待ってます。

    2024年8月20日 PM 2:52
  5. ゴーニィ より:

    おかしいなあ。

    昨日私が投稿したのは夜の9時20分。そこからほどなくして貴殿がこの記事を読み、そしてコメントを入れる。間髪を入れずにたどり着けたのは何故か?分らん。

    村上さんには、今から帰省の時の記事を入れるよと

    お知らせしたからすぐに返事が来たのは分るけど、貴殿のお早いリアクションは意外でした。

    うどんはまた別の機会に。今回のうどんは最悪だったからもっと旨いうどんを食ってきます。昔は何処で食べても旨かったのに最近は違うのねって事が分り捲土重来です。

    2024年8月20日 PM 8:13
  6. ゴーニィ より:

    ひとり野球の記事は本当にお恥ずかしい。

    まあ、あれを近くで見てたら笑うだろうなと思うし、罰当たりなことするなと怒られるかも知れません。

    ETCは2万円くらいで取り付けられるんすか。

    車でも1回は帰ってみたいです。盆暮れ以外に。盆暮の神戸渋滞は嫌っちゅう程経験してるので車で帰省するなら端境期ですがね。


    年イチで帰ることを決意。香川は本当に楽しい。

    2024年8月20日 PM 8:20
  7. てんてんより:


    お疲れ様です。
    凄い情報量で、まるで僕が四国のゴーニィさんの故郷にいるかのような錯覚に陥りました。あの頃はどこの地方の子供でも田んぼの一角で野球もどきな事をやっていたんですね。笑
    ゴーニィさんってエッセイ本とか書く才能もあるのでしょうね。 お世辞抜きに今回のネタは連載してもいい位凄かったです。
    僕もパチンコ屋にばかり篭っていずに四国とか九州に行かねば笑😆
    ゴーニィさんも次回四国再訪の際は美味しいうどん屋さんに出会える事を祈念しております♪

    2024年8月20日 PM 9:22
  8. ゴーニィ より:

    誉め言葉ですなあ。

    そうですか。エッセイ書けますか?

    元々文章書くのは下手やったけど、下手は下手なりに上達するという事を知りました。パチンコビレッジがなければ文章は下手なまんま。昔星新一さんの小説を読んだ時のことを思い出して、日本語のチョイスには気を付けています。

    絶対に難しい言葉は使わない。

    日常会話で出てくる言葉しか使わない。

    言葉は面白いです。パチンコビレッジの連載は止められそうにありません。パチンコの話なしでも読んでくれる人がいるのは有難いです。


    ちょっとは野球の話、大谷選手の話にも食いついて欲しいけど。野球のネタをUPした時は誰もコメントしてこんのよねえ。

    何でやろう?

    2024年8月20日 PM 9:24
  9. 村上亀吉より:

    ゴーニィ様
    読者の皆様

    野球の話はゴーニィ様にもお話しましたが、各選手の様々な角度からの過去データ比較・球場のサイズ・標高と気圧を含めた詳細な分析を前にしてコメントは難しいです(笑)

    ちなみに、ユリアさんに仰って頂いた個タクの屋号は私自身の本名ではなく4代前の高祖父の名前です
    なのでX(ツイッター)のアカウントは5代目亀吉なのです

    個タク開業前に丁度、戸籍を取り寄せる機会があり、最も古い筆頭者かつ古風で少しコミカルな雰囲気もあり気に入りました

    最近の若い個タク開業者はアルファベット表記が圧倒的に多い様です
    以前は左右ドアで逆に横書きするのが主流でしたが(ーシクタ吉亀上村)、法令上のルールではなく読みにくいので私はやってません

    ゴーニィ様、読者の皆様
    今後も宜しくお願いします(^-^)

    2024年8月23日 AM 11:04
  10. ゴーニィ より:

    それでも野球の話に食いついてきて

    パークファクター。

    左対左打率、右対左打率、右対右打率、左対右打率

    Noダウトホームラン、モーストリーゴーン、ダウトホームラン

    このような分析結果について誰かと話したいわあ。



    2024年8月24日 AM 12:05
  11. 田中より:

    ご無沙汰しております。
    今度は、寝台特急サンライズ瀬戸で、帰省して、感想を読みたいです。
    浜松と、大阪しか停まらないから、名古屋からは、不便かな。
    パチンコ三洋時代に、香川県に、旅行行ってたので、琴電とか、金比羅山とか懐かしかったです。
    最近、麻雀覚えたので、地元の健康マージャンに、通ってます。
    秋吉久美子、俺も好きやでww ひとひらの雪、エロくて最高。

    2024年8月28日 PM 7:49
  12. ゴーニィ より:

    寝台特急瀬戸?

    知らんでそんなもん。香川に旅行行ってたんすか?

    こんぴらさんには年末に帰る時登ろうかのう。香川は皆にあんまり知らてないけど、日本一ため池の多い町でな。こんぴらさんのすぐ近くに日本で1番大きな満濃池がある。まあため池は何とも言えんくらい不気味やけど今度帰る時は満濃池にも行かんとイカンわ。

    秋吉久美子の魅力分かってくれる人がいて嬉しいわ。あんなエロい女おらんと思うけど、福岡の夜俺の目に前にいた女もエロかったわあ。

    麻雀覚えたんなら俺と一緒にやろうぜ。

    今度おうたら。

    2024年8月28日 PM 9:18

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