ダービー物語事件

グダ撒きの3日目。
デジパチ誕生の時は13個もあったヘソの賞球はしばらくして7個に落ち着いた。保留玉連荘機の頃まではそうだった。然しである。事件が起こった。保留玉に強制的に大当たりを誘発させることが、意図的にプログラムを仕込んだのではないかと疑われ、パチンコメーカーの社員が逮捕に追い込まれたのだ。

これが世にいう「ダービー物語事件」である。

世の中に衝撃が走った。メーカーの開発社員が逮捕されるなんてのは、前代未聞。パチンコの歴史を語る上で欠かせない出来事であると同時に、パチンコ栄枯盛衰のターニングポイントになった出来事でもある。

これ以降、保留玉に強制的に大当たりを誘発することが禁止された。

大打撃を受けることになったパチンコメーカーが考えた次の手が、確率変動である。この機能はCRユニット搭載機だけに認められたのだけど、何故か確率変動を認める代わりに、賞球は5個になったのである。

CR機は1994年ごろから本格稼動。1994年から2002年秋までは賞球5個の時代が続いた。然しどのパチンコ機もスペックは同じで演出が違うだけのもの。これじゃつまらんから機種の多様化を図ろう。ということで登場したのが時短である。そしてこの時短回数を100回まで容認する代わりに、賞球数が1個減らされたのである。

更に時代は進んで2004年、今度は確変率上限50%を撤廃してやるから更に賞球1個減らせやということになった。いわゆるゼロヨン機、大ヤマト2のご登場である。確変率が70%近いものがでるようになったけれど、賞球はたったの3個しかない。だから賞球7個の時代に比べると、ベースは大幅ダウンである→ここで昨日の言葉「ベース」を思い出して欲しい。如何にベースが大事なのかが分かる。

整理しよう
保留玉連荘機の時代 … 賞球は7個
CR機+確率変動の時代 … 賞球は5個
時短100までの容認 … 賞球は4個
確変50%の上限撤廃 … 賞球は3個

つまりはだ。確率変動やら、時短やら、確変率のUPやらで射幸心を煽る代わりに、客はどんどんお金を使わされるようになっているというわけだ。一見甘そうに見える「エサ」を与えられる代わりに賞球を失っていったという事実を良く考えてもらいたい。

我々パチンカーは、お上の奴隷か?何故今までこんな仕打ちに物申す人が出て来んのだ。

遊技客が連荘にしか興味を持たぬから。大当りによる出玉の獲得にしか興味を持たぬからこんなことになったのである。ゆめゆめ考え直さねばなるまい。

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