ヤシマ作戦決行
昨日書いたとおり、この3日間は、アホ話です。ここで掲載するにはふさわしくない内容なんですが、自分は気持ちの整理をしたいなと思っているので、恥を忍んで掲載するという感じです。ですから無視するってのが一番と思います。でも本当に、パチンコしたての頃のことはよく覚えてるんですよ。人間てのは、関心の強かった出来事は、永久に記憶から消えないんですかね?
学生時代の主戦場は屋島でした。因みにエヴァンゲリオンのヤシマ作戦は屋島からとった言葉です。いや実際のところはよく知らんのですが、どう見てもシンジ君のヤシマ作戦時の構えは、那須与一のまねごととしか思えません。
冬の寒い日でした。私は前日メチャクチャ回る台を発見したんで、次の日は朝一からその台を打とうと思ってました。翌朝は喜び勇んで、原付を走らせ時間前には到着です。当時は栗林公園の近くに住んでたから、屋島まで15km近くはあったと思います。クソ寒い中、原付を走らせやれやれですわ。
開店と同時に、目当ての台をおさえてイザ打たんです。ところがここで財布がないことに気づきました。
アレッ。財布もってくんの忘れた。
マジかよー、オイッ。屋島くんだりまでゲンチャリ走らせて、寒い思いしてマジかよ。いや、振り返ると、財布を忘れちゃったという意識はありました。然しこの時間から自宅まで往復すると、もう駄目。誰かに先を越されて終わりです。記憶が正確ではないのですがこの時は、1回交換で打ち止め終了というルールではなかったと思います。お宝台を手にすれば、かなりまとまってお金が入るような状況だったと思ってます。
宝を目の前にして諦められないですね。とっさにですが、ここに来る途中、原付に乗っていた、T先輩のことを思い出しました。この店に来る時、俺は確か彼を追い越して来たんだよな。だとしたら先輩はこの中のどっかにいるんやないか?
血相を変えて店内を駆けずり回りました。するとやっぱり居ました。いっやー探しましたよ。
「どがんしたんやお前?」。「… サイフ 忘れた」。
「おめえだっきゃ、どうしようもねえ奴やの」。「でも絶対に勝てる台がある」。
「わかったわ。1万円貸したるけえ、これでやってけえ」。
死ぬほど嬉しかったですね。今でもこのご恩は忘れませんよ。
そんな 時代も あったねと いつか 話せる 日が 来るわ
あんな 時代も あったねと きっと 笑って 話せるわ
振り返ると、自分はパチンコに愛された人生でした。この日、財布持ってないのにパチンコできたのも、何かの縁でしょう。
私はデジパチの創世記を知る人間です。パチビレの佐吉さんは初代「太陽フィーバー」経験者です。自分は2代目「タコフィーバー」経験者です。タコフィーバー時代は1回交換なんですが、最初に300円入れると玉が減るどころか増えてくる台もあるんです。もちろんごく一部の台だけですよ。私は内心このまま当たらない方がええなあ、なんて思ってました。
夜まで当たらないでいると玉が3箱(小箱)くらい出てくるでしょ。それで最後に当ってくれれば一番儲かるよなあ。でも当時は、長時間当らないとイライラするお客さんもたくさんいました。自分の先輩でも、3時間くらい当たらないでグズグズしてると、もうアカン。この台当たらんわ…と音を上げて帰ってしまいました。その人はパチンコには向かない人ですね。
状況は平等でした。でも、ここで当たらない方がええと考える人間と、当たらないと困るって考える人間。その後の分岐点になったのかもしれません。
佐吉さんとか自分には、パチンコの良さを次の世代の方たちに、伝える役目がありました。でも、もうその必要はないのかもしれません。時代は新しいものを求めています。役目を終えた老兵は、次に何をなすべきでしょうか。
積年の 思い傳えし 老兵は 時の流れに 背く屍
<本日の履歴>
甘デジ
大当たり回数36(出玉無しが6回)
初当たり14回…2割ダウン
確変中の確率…ほぼ額面通り
TY13160個
投資10000円、回収11030円
1030円プラス
14/1735(低確)
Bサ11460
自力回転数1316
何故か昨日より開いてた。先週土曜日の左隣の台。やっぱこの台は大当たりを
3回取らないと時短がつかないというのが死ぬほど辛い。とてもボーダー+5あるとは思えん。