パチンコの原点
今年も1年が暮れようとしています。毎年おなじみの大晦日投稿であり、紅白歌合戦を見ながら最後の記事投稿作業を始めたところです。記事はだいぶ前から書き始めておりますが、その日の心理状況をありのままに伝えるためには、最後までどういう表現が良いのかを思案するのが常です。確か2014年頃東京オリンピックの開催が決定したと思いますが、その時の本音は「自分生きてるかな?」ということでした。いつ死んでも良いという心の準備はできつつあります。2018年の4月8日には人生で初めて九連宝燈を和了しましたし、その年の11月3日には四暗刻、緑一色というトリプル役満和了という大願を成し遂げまして麻雀への未練は一切なくなりました。2019年の6月29日には大好きなチン・セヨンさんにお会いできたので、もうこの世に思い残すことはないでしょう。マンションから持ち家に引っ越したことも、精神的な安堵を得ることにつながっており、お金に対する執着心は残すことではなく今の家族を守ることにシフトしましたので、FXやら株式投資などには興味がなくなってしまいました。それよりも気になるのは私の記事を読んでいる方がパチンコで勝てているか否かですね。
今年も1年間「土日パチンカー」の記事更新にお付き合い頂いて有難うございます。パチンコビレッジにおける日記のコーナーがどんな役割を果たしているのだろうかと考えることはよくあります。元々業界人向けの情報提供サイトでありますから、個人の日常生活の暴露というものはあまり意味がないものかもしれません。一般のパチンコユーザーにとっては知名度の低いネット媒体だと思いますが、土日パチンカーという言葉で検索すると、一発でここにたどり着いてしまうものですから、サングラスの兄ちゃんとか例の二人組みの遊技客に見つかったらどうしよう?って思いながら戦恐々としつつ記事を更新してる日々であります。いつだったかサングラスの兄ちゃんが「土日パチンコ」という言葉でネット検索したけど見つからなかったという話を聞いてドキっとしたことがありました。土日パチンコではここにたどり着けないけど、土日パチンカーならここにたどり着いてしまう。両者の線引きがもたらす不思議な出会いは、貴方と私との間に縁があったか、縁がなかったかということなのでしょうね。(※今は土日パチンコでも検索できるようになってしまいました)。膨大な情報量があるネット社会のパチンコというカテゴリーの中で、私の記事を選んでくれた方には何かと縁を感じますね。これからもどうぞよろしくです。
フリッパーは1ゲーム3ボール制で、玉が左右のアウトレールを通過するか、ど真ん中のアウトゾーンを通過するとロス。再ボールはゲーム内で1個追加。再ゲームはゲーム終了後に3個追加ですが、共に複数獲得OKなので、腕次第では僅かなゲーム代金で何時間も遊べます。学校が終わって駅まで直行すれば3時40分の汽車に間に合うけれど、いっつも3本くらいは遅らせて帰ってましたね。因みに当時の通学路線には電車というものがなくて汽車です。とんでもない田舎なのでした。坂出から乗って端岡という駅で降りるけど、いつも一緒の福井君がひとつ手前の国分寺駅で降りるので、彼を見送ってから家に帰るというのが慣わしでした。
讃岐国分寺(第八十番札所)
聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺の中で、当時の原型がそのまま残ってる数少ない貴重なお寺です。友人の家が国分寺の近くで、私の家はそれよりもちょっとだけ東に行ったところ。まあ大体坂出と高松の中間地点で、坂出駅からは20分程度の道のりでした。クラブ活動もやらずに、毎日夜の7時くらいにならないと帰宅しないので、さぞかし家の人間には私の行動が奇怪に映ったことでしょう。勉学に励んでいるから遅くなってんだなと思ってたらしいのですが、ほぼ毎日仲の良い福井君とフリッパー三昧ですから話になりません。福井君も私もかなりの腕前でしたから、私等がゲームセンターに入って遊技を始めると、何人かのギャラリーが集まってきます。毎日来てるからコイツら上手いんだというのは知れ渡っています。フリッパーはど真ん中に玉が落下してくると大ピンチです。こんな時は、一瞬で右に寄ってるか左に寄ってるかを判断し左か右に揺らしながらフリッパーを動かします。あまり強く揺らすとブザーが鳴り響いて電源が落ちてしまいます。チルトエラーです。従ってこんなときはエラー寸前のギリギリまで揺らしてフリッパーの先端に玉を当ててロスを防ぐのです。左に右にパチンパチン。右よりなのか左よりなのか、ほんのちょっとの判断でも狂えば玉はロスしてしまいます。神業でしたね。「オオオオオーーーーっ」。フリッパーさばきがギャラリーを沸かせます。
気持ちいいですね。私も福井君もハイスコアを塗り替えるのが趣味でしたから、毎日記録の更新目指してレッツゴー三匹でした。ところがこの頃ゲームセンターに一大革命が起こりました。インベーダーゲームの登場です。フリッパーは実際の遊技球を飛ばしてターゲットを狙い打つアナログのゲーム機ですが、インベーダーゲームは液晶画面内で操作するだけなのでどちらかというとデジタルゲーム機でした。ピシュッピシュッピシュッ!名古屋打ちという攻略方法が日本全国に広まりまして、インベーダーゲームはフリッパーに取って代わり世の中を席巻し始めました。私等が通っていたゲームセンターでも、徐々にフリッパーは廃れインベーダーゲームをやる人ばかりになったんですけど、私と福井君は相変わらずフリッパーしかやらなかったですね。モニターに映し出される敵を相手に戦うよりも、実際のボールを的に当てるゲームの方が楽しかったんですね。
アナログのゲーム機=フリッパー
デジタルのゲーム機=インベーダーゲーム
アナログの遊技機=パチンコ機
デジタルの遊技機=パチスロ機
インベーダーゲームが出てもそれに見向きもせずフリッパーに拘り続けた自分の姿は、世の中の主流がパチンコからパチスロに移行してるのにパチンコに拘り続ける今の姿とダブリます。お前は年寄りだから、相変わらずパチンコばっかりなんだよって言う意見が多いとは思いますが、必ずしもそうではありません。高校生の頃から私はずっと「玉」が好きなのでした。玉を愛し続けるか、玉からコインにシフトするかの選択は人それぞれだと思います。結果として私は玉にこだわり続けた訳ですが、その素地は高校時代のフリッパーにありました。玉が動いて行く方向とか着地点を物理的現象として考えることが好きで、これはフリッパーもパチンコもかなり共通点があります。コインは球体ではなし、コインそのものが動いていく姿を楽しむものではないからつまらないと感じます。球体が作り出す奇怪な物理現象というものが味わえないから、この年になっても未だにパチスロに馴染めないということでしょう。
パチンコを物理的な学問と捉えているのかも知れません。
風車回りの釘調整がハカマへの誘導になることは明確でしたし、風車は上向きになっていた方がハカマへ誘導されやすいのも明確。ハカマのズレと落としが鳴きに影響することも明確。ヘソの道が2チャッカーへの誘導釘になるし、その最終形である三角形の釘構成がここへの入賞を左右することも明確。出玉に影響する重要な部分は分かっていたつもりでしたが、いざ店に入って遊技台を見つめていてもその台の釘調整が良いのか悪いのかさっぱり分からない。そこで私は、打ち止めになった遊技台とそうじゃない遊技台とを見比べて間違い探しを始めす。複数台同じ機種が並んでいる中で、ひとつだけ打ち止めになる台がある。その台と隣の台とを見比べます。あっと思うほど明確に違う向きをしている釘があることに気がつきます。1台だけ見ていたときは分からなかった釘の微妙な向きが、見比べることで鮮明になるのです。
打ち止めになった台は、1本釘が左を向いている!
釘調整を理解した人間が、大きな収益を上げたのは一発台と権利物。クーデター、ツインズ、バレリーナは釘読みが巧拙の分けれ道となります。朝一番の台選びは宝探しのような感覚で、甘い台を探せる人間だけに与えられた特権の恩恵は莫大な利益をもたらしました。当時のパチプロと呼ばれていた人たちは、変則的な台の釘読みが苦手でしたね。勿論できる人も数多くいたとは思いますが、私が接するパチプロさんは一様に難しい機械の釘読みはできなかったのでライバル不在の不戦勝。いつも宝にありついていたので、年上のプロの方からどうしても急所を教えて欲しいと頼まれることもありましたが全てお断りしました。同業者には決して手の内を明かさないというのがこの時代の掟です。まだ独身の頃のお話でこの頃が最もパチプロになる可能性が高かった時期だと思いますね。当時勤めていた会社は一部上場企業ではありましたが、その実態は売上至上主義という名のもとに、営業マンを地獄の果てまで追い込んでいくブラック企業。給料が安い割に仕事は3Kだっので働く目的とか生きがいはありませんでした。そんな苦しい時期に、フルーツパンチやブラボーキングダムというパチンコの歴史に燦然と輝くような名機が出現したものですからたまりません。このまま社会人としてキツイ仕事を続けるくらいなら、いっそ好きなことして人生終えようか?心は揺れ動きます。
ブラボーキングダム登場のときが最も危なかったです。
単発回しをするだけで簡単に10万円勝てる機械。これがブラボーキングダムの正体で、この時代は本当にシャープを辞めてパチプロになろうかどうしようか随分悩みました。1992年~1993年頃のお話です。1991年の年末に生まれて初めてデータロボという機械を目にしたというお話は以前に書いたと思います。私が釘読みを始めたころから既にホールコンピュータというものは存在はしてたのですが、これが実際のホール営業に影響が出始めたのはもうちょっと後になってからのことで、ダイコク電機がデータロボをパチンコホールに持ち込むようになった頃から世の中が動き始めます。釘調整の難しいハネ物がパチンコホールの営業の中心から外れ、徐々に片隅に追いやられていきました。保留玉連チャン機とアレジンの登場で、時代は一気に射幸性能を求める機械だけにお客の心と財布が奪われるようになり、パチンコホールもまたそのような機械を中心とした営業にシフトします。元々釘調整の簡単なデジパチは釘師による高度な技術を求められないし、ホールコンピュータの導入によりスタートと利益の関係が数字で見えるようになると、釘師の行っていた仕事が如何に適当だったかが露見します。出た台だけを締めて、出ていない台の釘は据え置きという考え方は徐々になくなっていきました。釘は横並びで全台が同じスタート率になるような調整が求められる時代へと移り変わっていくのです。
パチプロになるか否かの線引きを考えてみましょう。
(1)好きなことやってて一生暮らせる。
(2)始業時間と終業時間がない。
(3)上司に指図されることがない。
(4)転居するのもしないのも勝手に決められる。
(5)ライバルが少ないのでパチライターの道が開ける
(1)目と耳を酷使する。
(2)実力がなければ生活が破綻する。
(3)社会保険全額自己負担(会社員なら半額企業負担)
(4)結婚するのが困難になる。
(5)子供に職業を聞かれても答えられない。
ざっと思いつくだけでも長短10項目が挙げられますが、この中で欠点の(3)が重要。案外軽視されがちなことですが生涯年収に大きな差が出ます。会社勤めをやらない人は、国民年金、国民健康保険に加入するかしないかは人それぞれのようですが、本来なら皆年金、皆保険ということで義務付けられている項目でしょう。パチプロんなって年金と保険の両方を支払うとなるとかなりの自己負担金額となりますが、企業に就職すれば会社が半額負担してくれます。しかも給料からの天引きなので、支払ってるという感覚さえ薄れてしまうという大変ありがたい制度です。独身であれば負担は自分に課せられる金額だけですが、結婚して子供を授かると負担は非常に重くなってしまいます。とってもじゃないけど家族3人分の年金と保険を支払っていくのは困難であり、これでパチプロ生活が破綻してしまうこともあると思います。20歳過ぎてから職に就いて40年くらい経つと1000万円くらい違ってくるんじゃないでしょうか。何もしないで1000万貰えるのと貰えないのは大違いです。ですから嫌々ながらも会社員としてまっとうに生きた方がお得なのです。それでも色んなハンディを乗り越えてパチプロ稼業を継続し、伴侶を見つけめでたく結婚したとしましょう。ここで一番困るのが子供が生まれた時のこと。自分の子供に、「パパの職業はなーに?」と聞かれた時に答えられない。現実問題として、パチプロになった時一番の苦痛がこれだと思います。
元々は釘調整がなくなるという不安から始めたIDパチンコなのですが、それを加速させたのはタイホウ熱田店に行くようになってからですね。何故かというとこの店は、独自のタイホウ新聞を発行しスタート回数、大当たり回数などの情報を横並びで台番。縦並びで日毎1週間分のデータとしてお店に置いてあったからです。ホールコンピュータから得られた信号を元にしてホールスタッフが印刷してカタログ入れに置いてくれるんですね。サイトセブンに加入すればそんなもの要らないんですが、当時はサイトセブンのことを知らなくてただひたすらこのタイホウ新聞を毎日集めに行ってましたね。1週間分のデータが掲載されているので、毎日行かなくても構わないけれど必ず1週間以内にはデータを収集してパソコンに入力していました。大ヤマト2から始まって最後沖縄2、大海2辺りまで続いたこの記録は、当時主力として戦ってきた機種は全て1日たりとも漏らさずにエクセルに入力して分析する。このような分析結果を、朝の並びで1台おばちゃん達に話をしたものですからエライことになっていくわけです。エプロンおばさん、ヤンキーおばさん、サングラスの兄ちゃん、台どつく兄ちゃん。これらは みんな1台おばさんが命名したあだ名ですが、当然私にもその手の言い方がありまして、付いたあだ名が
ミスターコンピュータ。
まあ色々とやっかみとか妬みとかその他諸々のケッタクソない感情が入ってるのねとは思ったけれど、これを機にみんなが影でコンピュータ、コンピュータとか言ってるのを聞いて気分が悪くなったこともありましたね。1台おばさん曰く、「ええがや!サングラスの兄ちゃんよりよっぽどカッコ良い名前付けたったで」というのでまあそれはそうかも知れんねと妙に納得させられましてん。その後この噂が広まり、六の付く日と土日が重なるときには、70過ぎのおばあちゃん連中が私にまとわり付くようになっていったのは2年前に書いたとおりです。
TSワースト1に輝いたのは733番台で、この台は私が宵越しで3600嵌りを食らった台であります。のっけからタチが悪くて手を焼きましたが、回りグセが良いので何度もトライして何度も痛い目に遭いました。771番はパチンコではこれが最大ともいえる48倍嵌りを食らった台でありまして、一時的には低確17000回転で初当たり23回しか引けぬという悲惨な負けっぷりを記録した台であります。777番台にも苦い思い出がありまして午前中に3万個の爆裂があったにもかかわらず、最終的には全飲まれ寸前まで落ち込むという大失態をやってくれたので、私の記憶にはしっかりとこのときの思いは刻まれています。後にも先にも3万個を全部ぶちかますという経験はこの台しかありません。756番もそれはそれは嫌な奴で何度か痛い目に逢いましたが、この台との思い出は前日の最終履歴が2000回転当たらずで、翌日が六番祭で打って出ると、この日も朝一から2000回転嵌りを食らってグロッキー。私が放棄したあと最終的には、宵越しで4500嵌りという見事な嵌りっぷりでした。こうして振り返るってみると、良かった台よりも悪かった台の思い出の方が圧倒的に印象に残ってますね。入替直後からこのようなバラツキは出てるんですけど、最初の2週間までは結構確率の逆転現象が見られるのですが大体1ヶ月くらいで数字が落ち着いて、上記のような上と下に分かれます。この時点で良かった5台はその後2年間経っても良いまんまだし、この時点で悪かった5台は最後の最後まで悪いまんま。つまり入替直後から数字を収集し始めて、最初の1ヶ月経過後に順列を付けておけば大体の戦略が立てられるということですね。もっと端的にえば上述した例では、738,757,727のローテーションだけで2年間乗り切れるってことです。
6年半、養分の為にという思いで書いてきたと思います。
パチンコビレッジは業界人向けのサイトであり、一般受けしないのは承知の上で記事投稿を引き受けたつもりでしたが、予想以上に一般受け悪いのねって思ったのが最初の年でした。知名度の低さが致命的なのか、私が投稿する記事の内容が致命的なのかは分かりませんが、兎角反応が何もないので色々と工夫してきたと思います。2年目からはエンターティメントを意識するようになりましたが、それでも反応の悪さは変わりないですね。今までに投稿してくれた人の内容は全部覚えていられるほどの数ですから話になりません。紙の媒体ではパチンコ必勝ガイドという雑誌が不動の地位にありますけど、ネット媒体ではパチンコに関する媒体は星の数ほど氾濫しているのでどれが不動の地位かといわれると微妙です。確かにパチンコホールの検索という観点ではP-Worldが不動の地位でしょうけど、「読む」ということに関してはここは極めて低レベル。それ以外にも有名なネット媒体も存じ上げておりますが、それを皆が知っているかといえばそんなことないと思います。パチンコビレッジという固有名詞を知っているという日本人だってアンケートを採るとかなりの少数派だと思います。恐らくは0.1%以下?否もっと少ない?良く分かりませんがパチンコ必勝ガイドを知っている数と比較すると雲泥の差であることは間違いないでしょうね。もっと知名度を上げたいです。そうなるとgreen pinkさんの目にも止まると思うし、いつかは彼女からのコメントを頂きたいですね。8年も前の出来事なので、今ではもうパチンコの世界から離れているかもしれませんが、何となく1パチで思う存分遊技を楽しんでいるんじゃないかって想像してる。そんな彼女とはもう一度ネット上でやり取りしたいと強く願ってるし、彼女は表現の天才なので一度その文章を目にすれば虜になると思う。だからこのサイトはもっともっと有名にならねばならない。紙の媒体のディファクトスタンダードが必勝ガイドであるならば、ネット媒体のディファクトスタンダードはパチンコビレッジだと 言われるようになりたい。
釘調整がなくなることは25年前に予見してました。
期待値至上主義を貫けるものならば貫いていきたい。
でもスタート勝ちできる世の中はいつかは終わるのです。
そんな状況で我々に何ができるのですか?
IDパチンコの追及は間違いではなかったと言って下さい。
厄介な調整が求められるアナログ機は見捨てる時期なのです。
パチンコで勝つための方法論は変るでしょう。
釘調整以外で他人と差をつけることを考える。
パチンコで花を咲かせるのはこれからなのです。
原点はフリッパーにあります。たとえパチンコがどんな形になろうとも玉を愛することに変りはないし、例えパチスロを始めるようになったとしても、私がパチンコをメインに考えるってことには変りはないです。もっと早い段階。4号機の時代にパチンコからパチスロに転身した人は多いと思うし、それが器用な生き方かもしれないけれど私はそれを望まなかった。文句を言うのは筋違いだと承知してるけど、4号機時代にパチスロに手を出した人たちは真のパチンカーとは言わないと思う。真のパチンカーであるならば、どんな状況になっても玉を愛すると思うし、コインへの転身など簡単にはできないと思う。
コメント
やはりあなたは私と同じようなパチンコ人生を歩んできたのですね。
怖いくらい共通しています。
若いころ調整釘の弱点を見つけた時の喜びを
あなたの文章を見て思い出しました。
羽根物なら風車上の釘と風車の向き(左向き)
羽根の横の三角形の寄り釘の形(二等辺三角形左の2本の間隔)
あとは役物の癖さえ覚えておけばほぼ100パーセント勝ててましたね。
その後は一発台権利物も同様にどの釘が動けば勝てるか
容易に判別できた時代がありました。
常連さんたちとの交流も含めもっともパチンコが楽しかった時代ですね。
釘調整がなくなるとは考えてはいませんでしたが、
釘が見れることの優位性はなくなっていくのだろうなというのは
あなたと同じように考えていました。
そして最も私がパチンコに危機感を感じたのは1パチの登場でしたね。
そのころから徐々に稼働を減らしていきました。
たいていのパチプロが経験値でしかパチンコをとらえていなかった
時代から数字やデーターを管理してパチンコに臨んでいた
(私も似たようなデータを取ってました。今も保管しています)
あなたがここまで生き残れていたことも、現在の打ち方も
【(1)ロープ・ア・ドープ、(2)1日1台、(3)先行逃げ切り】
十分に納得できますよ。
私からパチンコに勝てない人に送れる言葉は『変化に気が付け』
ですかね。
まあパチンコやめた人間が言っても説得力がないでしょうけど
あなたにならわかってもらえるかな。
かなめ様
あけましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくです。
本業の方が全く振るわず、ここ3か月間ずっと低迷しています。いつかは来るだろうと思っていた夜明けがいつまで経っても来ないので今は一番苦しい時期ですね。確率のバラツキに左右される人生は寿命を縮めるような気がしているこの頃です。
私は貴殿のお気持ちは良く分かりますよ。変化に気づいても、それを肯定できない人達はホルコンと不正を論じるばかりです。1円パチンコの登場は本当に心を痛めたし、危機感を増幅させるような出来事でした。低貸し、パーソナルシステム。パチンコ本来の良さを根こそぎ奪い取るこの2つはいつかはこの世に登場しなければならなかった仕組みだと思いますが、人間が作った悪い仕組みは人間が正すべきとも言えます。
然しながら貴殿はパチンコを止めたとは言っても、まだ戻るかもしれません。内心はいつかはホールに出る日が来るんじゃないかと思って心密かに応援しております。
2020年も何なりと。言葉を発したいときにはここに来て頂きたいものです。