覚悟
東京都の大晦日の感染者は1300人を超えました。ここまで来るとパチンコどころではないってのがマジョリティなのでしょうが、私は相も変わらずパチンコと麻雀格闘倶楽部に明け暮れる日々を送っております。まあどちらかといえばパチよりも麻雀の方が主体ですが、最近ではどちらも確率のバラツキに左右されるギャンブルだから、この際どっちの話題で書き進めても良いのではないかと開き直っている次第です。私の家から熱田神宮までは歩いていける距離。パチンコホールまでの行き帰りでも熱田神宮の近くを通り過ぎることが多いんですけど、今年はいつもの風物詩である「出店」がありませんでした。こんなところにもコロナウィルスの影響が出ていると感じましたが、本当に大変な1年でした。来年は人間はそんなウィルスにも負けないし、駆逐する知恵があるんだぞってことを見せつけたい年にしたいというのが皆の思いでしょう。
今年も残すところあと数時間となりました。毎年恒例の大晦日投稿の日となりましたが、本当に毎年この日に投稿する内容だけは、その1年を締めくくるということで最も時間を割いて書いております。年末が近づく度に、今年はどんなテーマで語ろうかということで思い悩みます。もうよせばいいのにって思うこともあるし、来年はそんなこと止めようって毎年思うんですけど年の瀬が近づくと特別な思いに駆られるのは私が古い人間だからでしょうか?こういう文章を書こうという熱意がなくなった時が私がビレッジを止める時なのでしょうね。今年はコロナウィルスのせいでほぼ1年間まともな遊技活動ができなかったし、パチプロを廃業された人も沢山いるでしょう。パチンコのブログを書く熱意も失せたというライターさんも沢山おられるでしょうし、事実私も心が折れかかったことは何度もありましたが、物書きをする情熱の方はまだ大丈夫みたいです。2016年はパチンコをやってると辛いことが多いけど、それでもスマイルスマイルよというお話でした。2017年は俳句好きが高じて、私が書く文章は言葉ではなくて映像であると書きました。2018年はここでの投稿を諦めたキリタカさんへの愛を語り、2019年はフリッパーとパチンコとの関係性から何故私がパチスロをやれないかということを語りました。従ってこの日に書く内容は他日投稿とは趣旨が異なりますので、読む方としましては覚悟を持ってお付き合い頂きたいと思っております。
2016年はスマイルスマイル
2017年は言葉で映像化を目指す
2018年はキリタカさんへの愛を語る
2019年はパチンコの原点
今年も青春時代に遡ってお話を展開します。時は高校時代。進学か就職かで揺れ動く時期。私はそれまでフリッパー三昧でしたので、大学受験勉強などするはずもなく成績は置いてけぼりの最後尾に近いポジションでした。英語も数学もほぼついていけてないなと思っていた時期でしたが、理数系は元々得意なので税務署の試験には合格。卒業後は税務署で公務員をやりながら税理士でも目指そうかなというところでした。ところがそんな私に人生の転機が訪れます。きっかけは親戚の叔父さんでしたね。甲南大学経営学部の教授だった彼は私にこういいました。日本の企業社会は学歴重視だからだから大学卒業した人の給料と高校卒業した人の給料では、給与モデルが格段に異なる。
大卒と高卒というだけで生涯賃金が1億円変る。
この言葉は私にとって「革命」でした。生涯賃金が1億円変るといわれて目の色が変わりましたね。公務員になることは忘れて大学に行こうと決意しました。私の中で何かが化学反応したのです。そこから大逆転の人生が始まります。1学年で300人中ほぼ300番だった自分が国立大学に行くためには覚悟が必要でした。家は貧しかったので大学に進学するとしたら親の負担を軽くすることが求められていました。まずフリッパーを止めないと駄目。それからタバコも止め。集中力が途切れるから。更にテレビを見るのを禁止しよう。当時のテレビ番組ってのは今とは違ってかなり面白かったですから見始めるとかっぱえびせん状態。そういうことでオナニー以外はありとあらゆる欲望を断ち切って受験勉強を始めたのですが、ここで残り1年しかないという事。これが致命的な問題であることに気付きます。
自分は神戸商科大学に行きたかったのですが、ここでの二次試験には数Ⅱがありました。
然しながら、全く勉強をやってこなかった自分が僅か1年で一気にまくるためには数Ⅱをやってたのは時間的に間に合わないんですね。やる前からそんなこと言ってどうすんだって仰る人もいる思うんですけど分かるんですよ。今の自分が共通一次でまともに戦える脳になるためには何と何をインプットしなきゃいかんのかってのがね。そこで試験当日から逆算すると自分に残された時間が明確になる。捨てる科目と集中的に勉強する科目の振り分けが求められていました。数Ⅱの選択は確かに魅力的な未来を導くかもしれないけれど、2次試験に数Ⅱが出題されない国立大学なんて腐るほどあるのだからそこで時間を浪費するよりも、この科目を捨てて共通一次試験で高得点を目指した方が成功する確率が高い。賢明な判断でした。私立と国立の両方を考えると、科目で公約数になるのは国語、英語、社会ですがこの3科目の中で得点のポイントゲッターとなるのは英語と日本史。社会科目で最も高得点をたたき出しやすいのは世界史ではなくて日本史。アルファベットをカタカナに変換した文字に特別な意味はないけれど、漢字にはそれぞれの意味がある。漢字で成立する日本史の方が人名や出来事を記憶するのに有利なのは分かっていました。
英語⇒最重点強化科目
日本史⇒重点強化科目
倫社・政経⇒ちょっとだけ
国語⇒全く勉強しない
数学⇒ちょっとだけ勉強
物理⇒物議をかもします
化学⇒物議をかもします
数学に重きを置かなかったのが不思議に思えるかもしれませんが、この時代の共通一次試験は数学Ⅰは割と簡単だったから、あんまり勉強しなくても140~150点は取れたんですね。国語と数学と倫社・政経は学習してもしなくてもあんまり点数が変らない。勉強しなくても7割くらいは正解できるけど、猛勉強しても正解率は7割に毛が生えた程度までしか増えないと思ったので手抜きしたんですね。限られた時間の中で勉強する科目と勉強しない科目の選別作業は、短期決戦で受験戦争に勝つための戦略でした。
国語、英語、社会、数学の戦略は明確でしたけど問題は理科でした。
理科の2科目をどれにするかが迷いました。共通一次で点が取りやすいのは地学と生物?ってことになるのでしょうが、そのような安易な選択肢で良いのだろうか?自分が好きな科目は物理と化学。好きな科目を選ぶべきか、点を取りやすい科目を選ぶべきかの判断は簡単ではありませんでした。共通一次試験で、文系の人間が理科に物理と化学を選択すると死を招きます。何故ならば当時の共通一次試験は、物理と化学の平均点が低く条件が厳しい上に、両方とも計算問題を選ぶと制限時間内で焦りが生じ計算間違いを起こしやすいからです。どっちか一方は記憶力だけで問題を解ける科目を選んでおかないと、問題を解く時間が足りなくなるんですね。危険な賭けでした。
化学と生物を選ぶというのが正解でした。
教室内にいた殆どの生徒が、化学と生物。化学と地学。生物と地学を選びました。このとき物理と化学の両方を選択したのは私だけでした。ていうか物理を選択した人が私しかいなかったので、物理の先生が親切にも私にアドバイスをしてくれました。○○君、何で君は物理と化学を選択するのかね?
物理と化学の両方を選ぶのはやめてくれんかね
ほぼ強制的な「やめろ」という指示でした。文系の人間が共通一次試験で、限られた時間の中で物理と化学の問題を解くのは非常に負担が重いということでやめさせようとする教師の親心なのですが、私にしてみればそんな親心などまともに受け取れるはずもなく
ただ単に
センコーの分際で俺に説教する気かよ!ってことで猛烈に反発。こうなったら何が何でも物理と化学の選択にしちゃると息巻いてこの2科目を選択することにしました。他の人ならいざ知らず俺にできぬものはないという思い上がりと、やっぱり自分が好きな科目を履修したいという願望とが重なってとうとうクラスでただ1人。理科の選択科目を物理と化学にしたのであります。いざ勉強を始めてみると全てが順風満帆かと思えました。勉強する科目と勉強しない科目を選別することで受験戦争を乗り切れる。英語と日本史をポイントゲッターにしてあとは流すだけ。簡単な作業だと思っていました。受験勉強のキモは英語でありますが、それを成功させるためにはでる単とでる熟です。当時は試験に出る英単語⇒でる単。試験に出る英熟語⇒でる熟ということで、この2つの本を限られた時間で習得するために、通学の汽車の中だけで丸暗記したのです。これだけで英語の点数が飛躍的にUPしました。流石はでる単とでる熟です。当時の受験生ででる単、でる熟を知らぬ者はいないって程みんなが買い求めましたけど本当にこの参考書には神通力がありましたね。それ以外で英語の勉強でよく覚えているのは、英文で書かれた小説を買ってきて読んでたということ。アラジンとかハムレットとかを日本語じゃなくて英文で読破。普段小説を読まない自分がこのときだけは別でしたね。To be or not to be : That is the question.というのはハムレットを読んでいるときに覚えた言葉。Leave nothing to be desired.ってのはでる熟に載ってた言葉ですね。
青春新書。森一郎さんが書いたでる単とでる熟は受験生にとってバイブル
intellectから始まるでる単とのお付き合いはまずは名詞から始まって、形容詞、動詞と続きます。この本の良いところはただ単に英単語を覚える為の単語集ではなくて接尾語、接頭語について詳しく書かれていたこと。この2つを理解していれば単語を丸暗記するのではなくてある程度論理的に言葉の意味にたどり着くことができる。でる単に掲載されていた解説文は英語を学習するのに非常に役に立ったし、私が一番頼りにしていた参考書。だから今でも大事にとってあるんです。
これがでる熟の96ページ。そこにはくっきりとLeave nothing to be desired.が記されています。
稗田阿礼並みの記憶力ですから、日本史の攻略はお手のもんです。何故か数字を記憶する能力が抜群だったので年号に強かったですね。兎角英語と日本史を最重点強化科目だと考えていましたので、両科目は得点が高かったわけですが、とりわけ日本史の点数は飛びぬけておりました。筆記式のテストなら毎回96~98点クラス。旺文社の模擬試験では全国でヒトケタ順位。まあ日本史でブッチギリの点数をたたき出すので私立大学ならどこでも受かるわというレベルまで到達。この頃の自分には本当におごりがあったと見えて、有名私立大学の赤本を買ってきてはその気になるのでした。特に早稲田大学の英語の入試問題はカッコ良かったですね。名詞表現を使った大人の文章が特徴的で、それはもう独特の表現でしたから憧れましたね。大抵はThe+形容詞から始まるわけですよ。赤本を解いているとその大学に受かった気分になるのです。数学の共通一次試験は勉強しなくても点が取れるような出題傾向にあったので、ここは全力で取り組むのではなくてむしろ手抜き。国語は勉強してもしなくても変わらないことが分かっていましたが、何故か朝日新聞の「天声人語」だけは毎日欠かさず読むという習慣を付けましたけれど、何かの本で天声人語を毎日読んでいると国語の点数が伸びるって書いてました。倫社・政経も勉強しなかった科目のひとつです。政経は兎も角倫社は哲学ですから勉強のしようがありませんて。このように勉強しなきゃ点が取れない科目とそうでない科目があったので戦略は明確。して理科はどうかというと勉強しなければ全然得点が取れない科目でしたね。
物理と化学は私立大学には必要ないので、あまり力を入れたくないんですけどやらなきゃ点が取れないってことと、自分自身がこの両科目は好きだったということもあって猛勉強しましたね。こうして戦略を明確にして戦っていたので、学年内で実施する統一テストでは見る見るうちに順位を伸ばしていき、半年も経ったころにはみんなの目が変わります。高校2年の後半には300番人中300番だった成績が、その後の半年間で280人くらいゴボウ抜きしました。気持ち良かったですね。国立大学に合格するためには、前から20~30番目くらいには付けていないと駄目でしたから、これでギリギリかっていうところでした。
ということで順風満帆に進んだ共通一次試験の構想は次のようなものでした。
英語⇒170点
社会⇒170点
数学⇒150点
国語⇒150点
理科⇒150点
1000点満点中、790~800点くらいは取れるだろう。
年が明けて1月の中旬。成人式が終わる頃共通一次試験が実施されましたが、フタを開けるとそこには驚愕の事実が待ち構えていました。予想した以上に物理と化学の試験問題は難易度が高くて、生物と地学は難易度が低い。今までこの両科目の平均点の相違が指摘されていましたから、今年はその差が埋まるだろうと考えていたのですが実際には逆。今までよりも更にその傾向が強まっていたので、私の共通一次試験の結果はボロボロでした。理科の平均点は物理と化学の両科目では80点。これに対して生物と地学の両科目では140点ということで、実に60点もの差がついてしまったのです。
物理の平均点が35点
化学の平均点が45点
生物の平均点が68点
地学の平均点が72点
大体こんな感じだったでしょうかね。元々テスト感の悪い男ですわ。筆記式なら実力通りのパフォーマンスを発揮するけど、マークシートはまるで駄目。兎角大学入試問題が、筆記式からマークシート方式に変ったことでかなりのビハインドを感じていました。私立大学の社会科の問題は、知らなきゃできない問題ばかりですが、逆に言うと知っときゃできる問題ばかりなので私にとってはいとも簡単なのですが、共通一次試験ていうのはひと癖もふた癖もあります。教科書に沿った内容しか出ないので、常識的に考えたら答えを導き出せるという出題が多いけれどこれが結構クセもので、じっくり考えるとどっちにも取れるという問題がいっぱい出てきます。テスト感の悪い自分は迷った問題は悉く間違った方を選ぶという失態をやらかして本来ポイントゲッターであるはずの日本史が、足を引っ張って80点とちょっとしか取れないという不本意な結果でした。このため社会科は170点取ろうと思っていた奴が150点しか取れなかったので残念な結果なのですが、それ以上に悲惨だったのは理科ですね。
140点と80点
この平均点の差は一体何?平均点で60点も違うっていうのは到底納得できなかったし、この国を恨みました。これが将来のプロスペクトを決める国家試験の在り方なのか?こんなやり方で良いのか?理科と社会の平均点の差が二次試験に考慮されるんならまだしも、この頃の国立大学入試は共通一次試験の点数ウェイトが8割で二次試験の点数ウェイトが2割。無論理科と社会の平均点の補正というものはなかったので理科で平均点の低い科目を選んだ受験生は、その数字がそっくりそのままビハインドとなりました。テストが終わった後、答え合わせが終わった後自分は理科で90点しか取れなかったので泣きましたね。そして平均点が発表された後は、それはもうワンワン泣きましたね。人生で初めて味わった挫折でした。結局南極、物理の先生が言ったことが正しかったのです。流石に教育現場を長年見て来ただけのことはあります。物理の先生と私とでは経験の差は明らかでした。受験を戦争と捉えて勝ち負けだけを論じるなら、私は完全に敗者です。点を取りやすい科目に絞って選択するのが勝ち戦だと思うし今の自分ならそうしてると思うけど、この頃の私は若かった。学校の先生の言うことを素直に受け入れられなくて、自分の我を押し通した。本当はその頃の私にだって、共通一次の試験問題の傾向は良く分かっていて物理を選択することがどれほど危険なのかは良く分かっていた。分かってたよ。分かってたけど嫌だったんですよ。好きでもない科目を適当に勉強して試験に臨むってことが自分の性に合わなかった。楽して受験戦争を乗り切るよりも、難しいことにチャレンジして高い山を乗り越えた方が何倍も満足感がある。だから自分の力で逆境を跳ね返したかったのです。
跳ね返されました。
一番悲しかったのは、答えが発表されたとき、答えを見る前に地学と生物の問題を解いたときでした。3年間まるで勉強しなかった地学と生物は私が問題を解くと両方で130点くらい点数が取れたのです。何もやらなかった人間でも130点が取れる。それに対して必死になって勉強してきた物理と化学では両方で90点しか取れない。この差は一体何なのだ?地学と生物を選択した受験生の勝ち誇る姿が、今思い出しても悔しくて悔しくて忘れられない。頭のいい子は最初っから難問に手を出さず地学と生物を選ぶ。俺は難問にチャレンジして木っ端みじんに砕かれたのに、お前らは何も勉強しなかったくせに俺よりも高い点数を勝ち取ってしまう。卑怯だぞこの野郎!
何もやらなかった科目の方が高得点が取れる。
努力は決して実を結ばない。
世の中は全てが公平とは限らない。
英語⇒170点
社会⇒150点
数学⇒150点
国語⇒140点
理科⇒90点
身も心もズタボロでしたね。結局理科が思いっきり足を引っ張ったおかげで私の点数は700点くらいに終わり、私の受験戦争は完敗という形で終りました。共通一次の点数が800点くらいあれば、二次試験の数Ⅱが低得点で終っても神戸商科大学は合格できると思っていたけど、このシナリオは崩れました。その次に750点クラスで終わったならば岡山大学に行くという気持ちで進めていたのですがこのシナリオも崩れました。結局は目標を思いっきり下げて大学に進学するということになりました。ここで何故神戸が出てくるかといえば、親戚の叔父が進んだ道だからです。彼は、大手前高校⇒神戸商科大学⇒甲南大学の教授ということで、私もまた彼と同じ道を歩みたかったわけです。この頃は神戸に対する憧れの気持ちが相当強かったですね。一度は神戸に住んでみたい。神戸の大学に行きたい。神戸で自分の家を建てたい。小学、中学の頃から毎年夏休みは親戚の家に遊びに行くようになり、そこで見た暮らしぶりに驚きました。香川の田舎から神戸に出てくると、そこに映る景色は私にはすべてが輝いて見えました。港町神戸に対して横浜に住んでる人はライバル心があるだろうし、彼等はヨコハマがナンバーワンだと思ってるでしょうけど、私から見れば神戸がナンバーワンですね。神戸の場合は、山と海のコントラストが素晴らしい。叔父の家は垂水区というところでしたが六甲山の中腹辺り。眼下に見下ろすのは神戸の海岸線で一番遠くに瀬戸内海が見えて、その手前に広がる夜景が絶景なのです。
私は夏休みのほんの一瞬しかこの夜景を見る機会がありませんでしたが、ここに家を建てれば毎日この絶景が見られる。神戸に住むことが、日本人にとって最高のステータスなのだと思うようになっていったのです。六甲山に立ち並ぶ住宅街から山を下ればハイカラな神戸の街並み。そして海岸線は見渡す限りの海水浴場。海、海、海。更に西宮まで足を伸ばすと、六甲おろしに颯爽と阪神甲子園球場がございます。叔父の家に遊びに行った目的は、甲子園球場ので野球観戦もそのひとつ。残念ながら阪神VS巨人戦のチケットは手に入りませんでしたけど、阪神VSヤクルト戦とか阪神VS大洋戦は何度か見に行きました。電車の中では全て黒と黄色のメガホンを持った野球少年とその家族で満員御礼。これが野球観戦なのねと感心しながら最寄の駅まで揺られます。目の前には蔦の絡まる甲子園正面ゲート。夢見心地で球場の中に入りましたが、夕方の6時を過ぎると黄色と緑のカクテル光線に灯がともります。テレビで見るよりも生で見るカクテル光線はひときわまぶしくてきれいでした。アームストロング・オズマはこのカクテル光線にぶつけるほどの特大アーチをかけたのねってひとり呟いていましたが、本当にこの球場で見る野球観戦は思い出深いです。私の好きなものが全て詰まったこの街は、大学生活をここで過ごすのだという熱意につながっていくのです。
高校2年の終わりに共通一次までラスト1年というところからまくりました。皆が3年かけて受験するのを私は僅か1年で追いつかなければならないので必死でしたね。欲望は全て捨てて、毎日10時間くらいは勉強したと思います。数Ⅱを捨てたことも、日本史と英語を重点的に勉強したことも、理科を物理と化学にしたことも悔いはないです。毎日10時間机に向かっていましたが、この頃は不思議と苦にならなかったし、今だけをしのげば明るい未来が待っていると思っておりました。ハッキリとした目標があるから続けられたと思うのですが、それもこれも共通一次試験の物理と化学が全てぶち壊しました。毎日10時間の勉強×1年間ですか?この努力が全て無駄になったのです。
本当に無駄になったのでしょうか?
所詮私はレベルの低い人間ですから、神戸商科大学に行こうとも、岡山大学に行こうとも、香川大学に行こうともあんまし変わらなかったんじゃないのかと思ってるのですが、ひとつだけ言えるのは香川大学に進学したことで私はパチンコをやるようになりパチンコの魅力に取りつかれました。その結果パチンコが私を名古屋に引き寄せたのです。今私がパチンコで勝っていられるのは、大学受験の時に必死になって物理の勉強をしてきたからじゃないかと思うわけです。パチンコで勝つために必要なロジックは、物理、数学、統計学の3つで決まりです。そしてこの順番は変えない方が都合が良いです。最初から統計的なものの見方を始めても上手くいきません。パチンコで勝つための一番重要な土台は釘調整をはじめとする物理学です。これが分かっていないと、その次の数学とか統計学をいくら勉強しても勝てないでしょう。
世の中には物理が苦手な人間が沢山います。
幸いにして私は元々物理が好きだったし、受験勉強の時に物理を集中して取り組んだおかげで、何もしてない人よりかは物理を分かってると思います。それが釘調整を理解するのに役立っているし、パチンコ台の回転率を理解することにも役立っています。物理的考察を全くやらない人は、パチンコ台の前後の傾きとか左右の傾きというのは気が付かないでしょう。音量の大きさが回転率に関係があるってことにも気が付かないし、板と板奥の違いについても理解せぬまま人生を終える人が多いのではないでしょうか?何故右打ちした方が良いのかも説明できないし、ハンドルの微調整についても論理的な説明はできないのだと思います。これで良いのでしょうか?物理が苦手な人にとっては高い関門になりそうな世界ですが、これを避けて通ろうとする人にはある共通点がございます。
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それはオカルトに走るってことです。
釘調整を見ずしてパチンコで勝とうとする人があまりにも多いように思いますね。私がパチンコを始めたときは、正確な情報は殆どなくて辛うじて信憑性の高い情報はパチンコ必勝ガイドの中にありました。ガイドに石橋達也が登場した時は、今までの常識を覆すようなことばかりでしたので、本当にこの人は先生みたいに思えてたのですが、この時代に必勝ガイドを買わなかった遊技客はそのことすら知りませんでした。従って当時はオカルト全盛期でしたが今は時代が異なります。インターネットの普及によってパチンコの仕組みは明確になりましたから、オカルトに走る人は30年前と比べると劇的に減っているでしょう。それでも物理が苦手なひとは、自分の目の前にある物理的な現象を自分の力で解明することができないために、的外れなことで解決を試みようとするのです。
(1)回りムラの正体
(2)同じ機種で店が変ると回る台と回らん台との区別がつかない。
(3)同じ島内で回る台と回らん台との区別がつかない。
(4)同じ遊技台で回る日と回らん日との区別がつかない。
(5)同じ店内で回る機種と回らん機種の区別がつかない。
(1)~(5)が分からんという人を数多く見てきました。確かに回りムラの正体は未だに説明がつかないほど奥が深いです。玉がヘソに絡んで入賞するバラツキは確率のバラツキに似た現象が起きてると思うしそれは日毎に変化する。でも台によって回りムラの激しいのもあれば、そうでないのもあるってことが未だに謎なのでいつかは論理的に解説してみたいです。(2)、(3)は遊技台の傾きと釘調整の問題なので実際に遊技すれば簡単にわかるでしょう。(4)は難易度が高いと思います。実際に釘の形が同じであっても無数に衝突するパチンコ玉のせいで経年変化してるのが現実。そこまでの細かな変化は肉眼で見分けられないので客泣かせであり、お店泣かせです。結果的には入賞率のバラツキだったってこともあるでしょう。
(5)はどれだけゲージを理解してるかってことですね。基本今の遊技台は液晶画面が巨大化したために風車からヘソまでの距離が大きくなっておりゲージは辛くなる傾向にあります。この距離はできるだけ短い方が良いということと、風車とヘソを直線で結んだ直角三角形の角度がすごく重要です。風車からヘソまでのルートにプラスチックがある遊技機とない遊技機とではステージに乗り上げる玉の数が全然変わってきます。こういうところに目を付けられるかどうかです。回る機種と回らない機種が存在するのは、機種ごとにゲージ構成が異なるからであってお店の釘調整だけでは回転率は推し量れないということを理解せねばなりません。回らない機械はスペックが甘いから店長が回らなくしているのだという念仏を唱えていたのでは、真実は見えてこないでしょうね。
スタートの横並びは多分無理です。
タイホウ熱田店は私がネグラにしていた頃は日本でも有数の名店だと書いてきました。その理由はお店に良心があるからですが、釘調整以外でもそれを感じる設備が整っていました。店の片隅に置いてあった1台の液晶モニターSHARP製。50インチくらいのこの大型ビジョンには各台毎の遊技データが表示されましたが、なんとこの店はパチンコ572台の全てにおいて、スタート率を表示させていたのです。100をスタート率で割ればスタートが出るし250を(スタート率-3)で割れば1000円スタートが求められるので、見る人が見れば簡単にわかってしまう回転率の良し悪し。上手い人が打てば14.0というスタート率が出る台も下手な人が打てば14.4~14.6といった数字になっちまうので、この液晶モニターは本当に遊技客の技量を映し出す鏡。これをつぶさに観察していた私が何を思ったかは明白。スタートは打つ人によって随分と変化するでした。当時は遊技するしないにかかわらず週に5~6日は通っていましたが、特に6のつく平日の夜はパチプロさんの技量を測る良い機会。実際に目にする釘調整とその日出たスタート率を計りにかけながら、このひとは上手いとかこの人は下手くそとか勝手に技量を分析していました。当時のメンバーには神谷さんという夫婦パチプロさん。佐藤さん、重田さん、中谷さんに加えて極めつけはマスクマン1号がいました。ここで名前を出した人たちはみんな上手かったですね。大体わかるんですよ。私が打てば14.2くらいかな?ってのがね。その台をプロが打ってスタート率が14.0という数字が出るとこの人は上手いねってことになるわけです。あるときハワイの海をマスクマンが打ってる姿を見てどれくらいってスタート率を確認すると11.5という数字が出たことがあったんです。度肝抜かれましたね。11.5はスタートに換算すると8.7。1000円スタートでは29.4/Kですから凄い数字でした。これを見た私は、ハワイは右打ちじゃなきゃ駄目だなってことで真似し始めましたが、私が打ったハワイでは精々11.9~12.0まででした。
パチンコ572台全部のスタート率を公開する店なんて、なかなかこの世にはないですよね。従ってこの当時のタイホウ熱田店は日本一の名店だなんて思ってるんですが、この大型ビジョンがあったおかげで私は色々なことを考察することができました。上手いパチプロが打てば14.0。それよりちょっと下手なパチプロが打てば14.1。腕の良い土日ユーザーが打てば14.2。平均的な土日ユーザーが打てば14.3。打ちっぱなの常連さんが打てば14.4。数字の差は0.1単位ということでほんの僅かな差なんですがね。その僅かな差が年間収支には大きく影響するし、その僅かな差をお店の人間が釘調整で補正するのは極めて難しい。いくらお店の人間がコンピュータという数字を頼りにし、知恵を絞り、精密機械のように丹念に釘調整をやったとしてもこの差は補正できない。スタートを横並びにできないのは、打つ人によってスタート率が全部変るからです。打ち手の技量を計算しながら釘調整を行っていくのは不可能です。こういうことを知ってる人間と知らない人間とでは、パチンコ台に対する向き合い方が変ってくると思うけれど、私は6年間もこうして、打ち手の技量がスタートに及ぼす影響を考えてきたので釘調整に対する理解は深まりました。目の前に起こる全ての出来事がお店の人間が意図して成り立ったものとは限らないし、お店の人間による釘調整を過信してはなりません。
毎週スタート率との戦いでした。パチプロさんがいない週末は、殆ど私が遊技する台が島でスタート率ナンバー1。でも神谷さんや佐藤さんが一緒にいた時はなかなか1位になれず、2位とか3位ばっかり。上手かったですねパチプロさんたちは。彼等のスタート率を何とか超えようと努力したし、プロとしのぎを削った6年間でしたが、彼らはスタート率だけ重視する戦い方なれど、私はスタート率と過去履歴の公約数を取るというIDパチンコ。回転率だけを捉えると不利なんですね。時にはスタートでは負けると分かっていても違う台を狙っていくということはあった。それでもスタート率でも、大当たり回数でもどっちも彼等に負けるのは嫌だったし、実際に稼ぎの面では私のほうが上だったはず。プロとガチンコで勝負できた良い思い出です。1日の最後にはスタート率という数字で結果が分かるので毎回分析なり反省をしていました。
オカルト色が強い人間は、ただ逃げてるだけなんですよ。
物理学という関門は高くて険しい山なので、それを乗り越えることは難しい。従って自分の力で物理的に解明できない人たちは、みな何かのせいにしようとします。ホールコンピュータのせい?お店のせい?パチンコメーカーのせい?電圧のせい?そこから店の不正を疑い、メーカーの不正を疑い始める。ただ逃げてるだけなんですよ。パチンコで勝ちたくば、まず物理の勉強から始めること。そして物理、数学、統計学とステップアップすること。この順番を守らない人は大抵オカルトまっしぐらです。私のブログに何度も登場させた美容室のお兄ちゃんはオカルト色の強い人でした。もうお兄ちゃんという年齢ではないけれど、彼に初めて出会ったのはかれこれ26年くらい前になります。その間私はこの美容室でしか髪を切っていないのですが、髪を切りに行くたんびにパチンコのお話は聞いてきましたが、この人は無理だろうなと思っていました。勝てない人の典型例という奴で、オカルト満載でしたよね。多分このまま一生養分として役目を終えるんだろうなと思ってたので私は彼を説得しようとはせずにただ相づちを打つだけ。末期がんに陥った人間に抗がん剤打っても無駄だからです。この人もそれを良く分かっていて、負けの人生を受け入れるつもりなのかと思っていたら、ある日のこと彼が真剣に勝ちたいのですと言ってきたのです。びっくりしましたね。それならばと自分が書いているブログを読むことをお薦めしました。何故ならば、この手の人間にオカルトは駄目といっても全く耳を貸さないけれど、文章でじっくりと正攻法で勝つための論理を読ませ続ければひょっとしたらひょっとする。そんな思いで始まった、彼とのお付き合いでしたが効果はてきめんでした。
彼は随分と変わりました。
回る台を打たなきゃ勝てないを実感してくれたのです。人間の性格は変らなくても、ギャンブル属性は変わります。負けてる人に、正攻法論理を脳内シャワーとして浴びせ続けると徐々に頭の中が変わっていきます。2ヵ月に1度は髪を切りに行きますが、彼の口から出る言葉に変化が現れました。変る気持ちがあれば変われるし、変る気持ちがなければ変れない。パチンコで勝つためには物理学が柱となるので、まずはこれから始めてください。
数学的な理解も必要ですが、ボーダーラインとか期待値などはネット上に情報が氾濫してるので、個人レベルで計算することはあまり必要ないようです。3時間日当、6時間日当、9時間日当、12時間日当。稼働時間当りの期待値まで計算してくれているサイトもあるのでこれに関する計算力は必要ないです。然しながら遊技機の性能分析については、サイト情報を鵜呑みにするのではなくて、自分で考える力が必要でしょう。実質的な大当たり確率や実質的な確変割合は掲載されていないことが多いです。サイトセブンを丸裸にしようとするときも、特賞1回までの所要回転数を把握していないと話になりませんので、自分が知りたいと思った数字は自分で計算できる力が求められます。止め時を求めるためには、機械毎に異なるMYモードを計算する必要があるでしょう。モードとは度数分布表を描いたときの最も棒グラフの高い山。最頻度帯のことです。私がパチンコをする最大の目的はMYを獲得することです。ここがMYだと自分で納得できれば、その後の期待値は全部捨てても悔いはありません。然しながらMYに手が届かないのが分かっている遊技ほどつまらないものはありません。朝の1時間でMYがくるときもありますが、そんなのはごく稀で一般的には6時間以上遊技してからでしょう。朝イチから遊技を始めると、大体3時から6時の間にMYがくる。ここがMYモードとなるのでここまでは踏ん張りたいけれど、それ以上遅くまで遊技するのはバカバカしい。そんなところでしょうか。だから私は仕事帰りには絶対パチンコをやらないのです。
MYが取れないパチンコはバカバカしい。
(MY=その日の最高出玉)
統計学的ものの見方は非常に難しいです。直近のデータを分析し標準偏差を計算するのが一般的だと思いますが、皆が皆標準偏差を計算できるとは思えないのでそんな話は致しません。簡単にやれることは、自分が遊技した記録を全て残すことです。私は稗田阿礼だといいました。自分が過去に遊技した特賞間回転数履歴を大雑把には記憶しているので、明日打とうと思った台に似た回転数履歴をパソコンの中から探してきます。そのときの翌日の記録がどうなっているかを見て打つに値するか否かを判断しているのです。従ってIDパチンコなどと大げさに表現しておりますが、重要なのは記録することと、大雑把に覚えていることです。自分が過去に遊技した結果を振り返れば大凡の将来結果が見えてきます。金曜日の夜に、明日は10万円くらい勝つだろうなと思うこともあるし、明日は多分負けるだろうけど期待値が高いからこの台を避けては通れないな。そんなことを考えながら毎週過ごしています。期待値と過去の結果を両方秤にかけながら遊技に値するかどうかを考えることがIDパチンコです。然しながらパチンコを始めた人がいきなりこんなことを考えても無理なので、まずは物理学を理解するというアプローチから始めていただきたいです。何故ならば経験のない人は過去の遊技記録を振り返ろうとしてもそんなものが存在しないからです。まずは地道に物理的な土台を固めてから次に数学的解釈にチャレンジする。最後に統計学を理解するということですね。物理⇒数学から理解を深めていき、最後に統計学までたどり着くと、ほぼIDパチンコは完成となるのですが、ここまで来るとまず負けないですよ。IDパチンコを熟知できるようになれば鬼に金棒だと思いますね。
私の青春
学生時代は、女の子が多い高校に通ったので恵まれた人生だったと思います。7:3で女子学生。然も全国でも珍しい音楽科というクラスまであったので周りに可愛い女子生徒が多かった3年間。音楽科はクラスのほぼ全員が女子生徒で男子生徒は1人だけという編成でした。多分僕は音楽科のある女子生徒に恋をしてたと思うけど、シャイな性格だから自分から話しかけることはできなくて近くでお会いすると顔が真っ赤になるという体たらく。2年生のときに体育祭の実行委員として何人か選ばれた中に、僕とその女子生徒がいてそこで初めて会話するようになったわけです。体育祭当日では、ラジオ体操を全生徒の前でやる人に僕が選ばれたんですけどこれが僕はあんまり得意じゃなかった。得意じゃなかったけれど、ここは良いところを見せてその女子生徒の気を引こうと思ったので快く引き受けました。好きな娘の前では良いとこ魅せたいというオスの性ですね。ラジオ体操は皆がやる真似をしながらしかやったことがないので、自分が先導してやるとなると右左やる順番に自信が持てません。右と左とどっちから始めるんだったっけと先生に聞いたら右からって言うんでその通りにやったら、目の前にいる生徒全員が私と同じ方向を向くので「あれっ、おかしいな」って思ったけど。思ったけど先生が右からって言うんでそのまま最後までやり通したら、右からっていうのは右手からなんだわバカって怒られてこれまた真っ赤になりました。多分そんなことその女子生徒はちっとも気にしてなかったと思うけれど、何故か私の方が気恥ずかしくなってそれ以来口を利かなくなっていったので私の恋は終わりました。女子学生の方が圧倒的に多かった高校3年間でしたが、女の子との絡みはその程度しかなかったので恋愛経験はゼロ。1年と2年はほぼフリッパー三昧の2年間で、最後の1年はほぼ受験勉強しかしなかった。そのために私の青春時代の思い出は、物理と化学の勉強に明け暮れた毎日のことだけなんです。受験勉強は良いですよ。将来は社長になる?政治家になる?日本を変える?夢を見ていられますからね。私が今まで生きてきて、一番楽しかったといえるのは高校3年生の受験勉強をしてる時でした。ラスト1年間で全てをまくるために捨てる科目と拾う科目の選別。目標に向かって順調に推移していることがテストの結果で見えることの充実感。幸せでした。
卒業までの1年で 答えを出せというけれど
数Ⅱを選べば間に合わない
捨てる科目と やる科目
青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの
青春時代の真ん中は 道に迷っているばかり
このようにして夢いっぱいに膨らんだ学生時代の思い出は、共通一次試験の物理と化学の大ブレーキによりまして一瞬にして悪夢。楽しいどころか失意のどん底に突き落とされました。でもここで両科目を選択したから香川大学に進学することになって、広瀬君に出会いパチンコにめぐり合えた。同大学を卒業することになったからシャープという企業にお世話になることができた。この企業を選んでいなければ愛知県には来ていないし、パチンコと深いかかわりがあったかどうかは分からない。高校1年、2年のフリッパー三昧。そして3年生の受験勉強は、全てはこの先私がパチンコを打つための布石だったのではないかと思うわけです。
(1)物理と化学の選択
(2)香川大学への進学
(3)広瀬君との出会い
(4)シャープという企業に就職
(5)愛知県に配属
(6)パチンコに対する深い愛情
これで良かったのではないかと思いますね。人生はどこかで分岐点があるけれど、私の人生は常にパチンコによって導かれていたし、私はパチンコをするために生まれてきた人生だからこれで良いのでしょう。このようにして受験勉強で負け戦をしたことが、その後のパチンコ人生につながっていったと思っておおりますが、今の私ならば負け戦と知って戦うことはしないと思います。受験生の頃は若かったから、自分の力にうぬぼれることもあるでしょうし、やれる、やりたいという気持ちが優る時期。それが大失敗につながるんですけど経験を積んだ今の自分なら負け戦はしないでしょうね。戦国乙女とか大工の源さんが好きという人は、自分が高校時代に受験戦争に負けると分かってるのに物理と化学を選んだことに似てる。勝ち難い道を進む人はやっぱり負けるし、そのことをご本人は理解しているつもりだけれど私みたいに「痛い目」に逢わない限り生まれ変われないのかもしれない。自分が学生時代に好きなことにトライして味わった挫折感は一生忘れないと思う。あの時、物理と化学を選んで苦労した失敗は、もう二度と同し轍は踏むまいかと思う。だから今の私は迷わず沖縄ばっかりやっている。それが地学と生物を選ぶってことなんだ。
戦国乙女や大工の源さん⇒物理と化学
沖縄や冬ソナ⇒地学と生物
誰だって若い頃は夢を見るし、夢を叶える力があると過信する。最初はそれで良いのかも知れないし、負けると分かってる勝負を止められない人間の本能ってあると思う。でもそれが20代後半になっても直らないとなれば問題でしょうね。そんな人は30代、40代になってもおんなじことをしてる。これじゃあダメでしょう。人間には学習能力がある訳だからどっかで切り替えねばならんと思うけれど、これができない人達は一生養分をやることになる。パチンコビレッジの記事投稿を始めるようになってから、勝ちにこだわってる姿勢が私とは違うという指摘を受けることがしばしばあります。こういう意見は口に出しては言わないけれど、腹ん中ではほぼアンチだと思います。パチンコライターにとっての見せ場は演出の解説であり、それが足りてないライターはライターじゃないって思ってる読み手がいることも知っています。勝つことだけに執着した文章は、ヒトの心を打つことがないのかも知れないけれど、負けることを前提とした書き方や自分のことを養分と評する書き方は違うと思ってる。パチンコは勝負事だから誰だって勝ちたいと思ってやってるに決まってるし、人間の遺伝子には逆境を跳ね返そうとする気持ちとか、上手くなりたいという向上心が元々備わっていると思う。自分のことを引き弱ちゃん、養分、負け戦も良いと自称する記事を死ぬほど読んできたけれど、こういうのは女性ライター特有の表現で、その実態は本音とはかけ離れた姑息な読者受けする手段。何故勝ちたいんやと言わないのかが腹が立つ。たとえ今は養分暮らしかもしれないけれど、それをいつまで経っても肯定するのは間違いと思う。勝ち負けも重要だけど、そこにたどり着くまでの演出が満たされないとパチンコで勝った気にならないと言います。好きな台じゃないと遊技する気になれないってことでしたが、ここでどっちが先かの議論になるわけです。上手くなることが先なのか、自分の好き嫌いが先なのか。こういうとき、私はいつもこう思うわけです。勝てるようになれば、あとはいくらでも好きなことがやれるじゃないかと。1年間は12ヶ月あるけれど、9月までに100万円勝てる人間になれば良い。沖縄打って9月までに100万円勝てれば、あと残りの3ヶ月は北斗、源さん、戦国乙女を好きなだけやれば良いと思う。何故そういう発想になれないのか?自分自身が勝てる力を身に付けないとその先何をやっても駄目。順番が逆なのです。
考え方の順番だと思いますね。
勝てるようになることが先なのか?
演出を楽しみたいということが先なのか?
To be or not to be : That is the question.
好きなことをやりたいという気持ちは良く分かってます。
覚悟
今年は本当にビレッジからの引退を考えました。色んな意味で苦労した1年間でした。でもそんな時期に「辞めないで」というコメントがあったときは素直に嬉しかったです。読者様からの一言が私の気持ちをつなぐこともあるんです。私はあと2年で定年退職となります。このブログを始めたときは、サラリーマンを辞めたときが土日パチンカー「ゴーニィ」の終焉と考えていました。人間はいつかは死ぬものだし、死なないまでもよれよれになった実践記は読むに値しないしさっさと身を引いたほうが良い。そう思って辞め時を常に模索してきたわけですけど今年はひときわやらねばの思いが強くなった1年間でした。苦労して7年半もこの記事を書いてきたけれど、苦労した分報われることもあるということを感じました。従って定年を過ぎてからも、私は「土日パチンカー」という看板で記事を書いていこうと思います。これから先もずっと変わらないです。平日にパチンコを打ったとしても視点は常に土日パチンカーですし、私がサラリーマンの味方であることには変わりがないです。ここ最近は毎年自分自身のパチンコの力は低下していくけれど、それに反してパチンコの環境は厳しくなっていくので、この世界で勝てなくなるのは時間の問題だと思います。5年か?10年か?もっと早い段階でそのときがくるのか?いつになるのかは分からないけれど、ここまでビレッジで記事を書いてきた以上は最後まで見守って貰いたいですし、読者様には私の最後を看取って頂きたいです。最初は気恥ずかしさもあったパチンコの記事掲載。家族や親戚には見せたくないし、どこで見ているか分からない同業者やコンペティターに対しても自分の素性を知られたくないという思いで書いてきたパチンコビレッジの「土日パチンカー」。今年はこれが最後だと思って覚悟を決めたので顔写真をUPしました。いつまでも「土日パチンカー」ゴーニィではいけないのではないかという気持ちがあります。ハンドルネームにはそれなりの役割があるし、この手のサイトに寄稿する場合は本名を名乗らない方が良いのでしょうが、ここまで記事を読んでくれた方には是非私の本当の姿を見てもらいたい。
久保一奈と申します。(クボカズナ)
顔写真の公開とフルネームの公開。覚悟を持って臨んだ1年でした。
コメント
大晦日の日にまたまたこんな超大作を。
でも、面白くてペロリと最後まで読めてしまいました。
ゴーニィ様、いつも投稿ありがとうございます。
大学受験をした時期が私とほとんど一緒!私は1991年の1月に第二回目のセンター試験を受けました。
幸いにも神奈川県にある私立の進学校に入れさせてもらえたので、学校の授業がゴーニィ様のいう「大学受験戦争」の対策になっていました。要は「自衛隊」みたいな感じでしょうか。高校2年生の前半には世間一般で言う高校3年間の授業は終わらせ、残りの1年半で大学受験対策の勉強をやるという学校でした。
私は暗記よりも考えて解く方が好きだったのと、帰国子女であったこともあり、英語、数学、物理は得意中の得意でした。この3教科であれば校内で偏差値がだいたい65前後の1,600人中30位以内が定位置、全国模試(駿台、代ゼミ、河合)だとだいたい偏差値が73前後の大体150位以内(総人数に関わらず)が定位置でしたので、センター試験もこの3教科は全部満点でした!
(確かに私が受けたセンター試験の前年は理科の科目で平均点に大きな差が生じたみたいなこと言ってた記憶があります笑)
自分自身も高校3年間は遠く離れた所に住む母親を安心させたいという思い一心で、平日は1日6~7時間、日祝は1日12時間は勉強していましたので、本当に良くやったなと今でも関心します。
でもやっぱりパチンコも学問もなんでもそうなんですが、「環境」が大きく影響しますよね。私もその進学校に通っていなければそこまで学力が上がってないでしょうし、逆にゴーニィ様がその進学校に通っていれば世間一般で言われる一流大学なんて楽勝で入れたと思います。それぐらい私は環境に恵まれていましたし、そうしてくれたのも両親が配慮してくれたお陰なので、親には感謝しかありません。
しかしそんな私もちょっとした出来心から本番で失敗し、本命の東京大学は前期後期ともに失敗、滑り止めで受けた大学に渋々進学することになりましたが、そこで出会った仲間たちのお陰でパチスロと麻雀に出会い、今の私がいるのは間違いありませんので、ゴーニィ様と同様に後悔はしてません。
(でも人生やり直せるチャンスがあるとすれば、やっぱり高校3年生の夏に戻りたいな…)
2020年は色々と本当に大変ない1年だったと思いますが、本当にお疲れ様でした。
そして1年間投稿し続けて下さり、ありがとうございました。
2021年も業界にとっては非常に厳しい1年になりますし、それは遊技者にとっても厳しい環境になるということです。
でも2021年もめげずにお互いがんばって行きましょう。
毎週楽しみにゴーニィ様の投稿を待ってます!
U5様
貴殿はここのしきたりを知らぬでしょうからそんなことを仰いますけども、大晦日に「トリ」を用意するのは毎年の慣わし。パチンコビレッジ恒例の長文という奴です。この長文を読まぬ人は私の読者に非ずだし、かような人物とのお付き合いはこちらからお断りいたしますっていうのが
「土日パチンカー」ゴーニィの記事で御座います。
東京大学入りたかったでしょうね。
そんな高学歴の方に読んで頂けるのは光栄ですが、どこの大学に行っても東大崩れ、京大崩れ、名大崩れみたいな学生は存在する。私の周りにも名大落ちて香川大学に来た学生がいましたが、結局南極その人の人生を決めるのは「大学」じゃないから、今になって思えば小さな出来事なんでしょうね。でも当時の悔しさは何十年経っても消えずに残っていて、私がパチンコビレッジで記事を書いてる間にいつかはこのことを書こうと思っていました。当時の物理の試験問題は本当に難しかったです。
あの時の悔しさがあるから今がある。
神戸に行った方が良かったのか否か。分からないですね。
厳しい1年になることが分かっていますが、年をおうごとに新しい店の獲得、新しい技術を身に付けているので何となく乗り切れそうな気がしています。頭の柔らかさは今の20代の人たちにも負けてないと思う。ECOパチが出るという噂があって戦々恐々ですが、ECOパチ時代になっても勝ち続けれられるのはIDパチンコ也。
最後の最後には天は我に味方する。