パロマ瑞穂スタジアム
トップは高橋尚子!
ダントツの一番でこの瑞穂スタジアムに帰ってまいりました!
2000年の3月某日。高橋尚子がオリンピックの出場枠をかけて最後に走ったのがこの競技場で、彼女がスタジアムに戻ってくると割れんばかりの歓声で名古屋市民は迎い入れた。暖かい拍手と歓声で彼女に金メダルを取らせたいという思いがひとつになって結束した。その輪の中に自分も居て感動的な想いを募らせたことをはっきりと覚えている。その競技場はのちに名古屋市からパロマという企業の手に渡り経営が行われているが、Jリーグが発足した当時の「熱」はなく、名古屋グランパスはスポンサーであるトヨタの意向を受けて本拠地を瑞穂からトヨタスタジアムに移してしまった。
トヨタの強力な支援があってこその名古屋グランパスなので、これまでの経緯は仕方ないと思うけれどそのせいか年々この競技場の扱いは悪くなり、今では名古屋ウィメンズマラソンではここを通らないルートに変更されている。
この入り口ってところを彼女が走って戻ってきたところ。中に入ってトラックを2周くらいしてフィニッシュでした。
近くにはラクビー場もあります。陸上競技場×2、野球場、ラクビー場の4つの競技場からなるこの一帯は、今年の年末で取り壊されるということを本日聞きました。
1993年にJリーグが発足した当時が一番盛り上がったこの一帯。名古屋グランパスが、ピクシーが愛知県民を虜にした時代が一番良かったですかね。プロサッカーチームの本拠地があったために、名古屋市民の聖地となった場所でしたがそれも今となっては昔の思い出。本日はその場で1回目のワクチンを接種しました。
2021年の8月23日が1回目
2021年の9月20日が2回目
なんのことはない。
この記録をどっかに残したいなと思ってたのですが、このサイトに残しておけば忘れないだろうと思って記事を書きました。どうもすみません。