適当に生きろ
懐かしの思い出話し第2弾
やっぱり今月は昔のことが走馬灯のように思い出される日々が続くし、それに関連する書き込みが多くなっています。37年も続いた習慣に別れを告げるとなるといつもとは違いますね。暫らくは昔話しにお付き合い下さい。毎朝6時には起きて、7時から7時半までの間には家を出て最寄の駅までてくてくと歩いてく。電車に揺られ上小田井に着けばそこからまたてくてくと歩いてく。毎朝決まったルーティーンがあると月曜日から金曜日までの過ごし方はいつも一緒で、土日がくるとパチンコ打って、日記を書いてという習慣。土日が終わるとまた1週間の始まりだ-!って思いながら何年も過ごしてきたけれど、これが終わる事は想像しにくかったです。ここ最近はずっと電車通勤でしたけど、社会人としての始まりは徒歩生活。途中で車通勤になった時期がありましたけどトータルでみれば車通勤する時代はそれほど長くはないですね。
最初の7年間⇒階段を下りるだけ
車通勤⇒10年間
電車通勤⇒20年間
こんな感じでしょうかね。
階段を下りるだけの頃は実を言うと私は遅刻の常習犯でした。朝8時45分に起きりゃ良いって思うと、油断してなかなか寝付けなかったし早く寝なきゃっていう感覚もありませんでした。普通は会社まで10kmくらい走ってたどり着くから、到着する時間を予想して前もって起床して、家を出るって感じなので9時始まりの会社であれば8時半には到着するように準備するところです。ところが私の場合は、階段を下りてきておはようございますだから、早く起きなきゃっていう切羽詰った感覚が無い。常に余裕しゃくしゃくで最悪8時50分に目が覚めれば間に合うって思ってたけれど、これが意外に起きられないんですね。
人間の感覚っていうのは本当に不思議なもので、ゴールまで余裕しゃくしゃく状態なら目が覚めないんですわ。目覚ましかけても目覚ましの大音量が鳴り響きながら寝てるから驚きなんですが、この頃は週に1回くらいは遅刻してたんやないかな?いやもっと多かったかも知れん。だから今若い人達が朝起きれずに遅刻して来てもなかなか怒れない。自分が若かった頃はどうなんだと思うから。これだけ遅刻してると、朝9時になっても私が出社していないと、アイツまたかってことで営業所長が直属の課長に起こしにいってこいって命令する。
「おーい、いつまで寝とんのや」。ってドアをガンガンに叩く音に目が覚めて、いつもの重役出勤ですよ。着替えて下りていったら、みんな白け顔なんで顔が青ざめながら明日からは。明日からはキチンとしなきゃって心に誓うのですが、明日の朝が来るとまた伊藤課長がやってきてドアをガンガンに叩いてる。「おーい、いつまで寝とんのや」。で最初は伊藤課長に申し訳ないなあって思いながら反省の毎日でしたが、それが常習し始めると、驚いたことに、どうせ伊藤課長が起こしに来てくれるのだから無理して早起きせんでも良かろうって気分に変わりつつある自分がいた。この頃は朝定刻に出社することに関しては、既に取り返しがつかんほどみんなの信頼を失っていたので、どうせ遅刻をするもんだと思われているのであらば、それに便乗しようってもんで
伊藤課長(故人)が起こしに来るまで
待っとこう。
もっと厳しい処置であり、社をあげての対策はあったと思うんですけど、この伊藤課長という人が寛容なお人柄だったお陰で私はあんまり傷付くことなく営業活動を続けることができました。彼は真面目な人だったんでね、営業所長に言われるまんま毎度毎度私の部屋までやってきて、ドアをガンガンと叩くわけですが、正直立場が逆だったらこんなものでは済まないよね。あいにく私はキレキャラだから。この生真面目な課長さんが、私が半田に赴任してすぐの頃、女子高生2人をナンパして部屋に連れ込んだときに激怒されたお方です。無論その人の担当店での出来事ですから、彼が私に怒るのは無理もないんですけど「お店にとって店の女の子は商品なんだぞ!」っていうお言葉が今も忘れられません。何をやるにも生真面目なお方でした。
生真面目な人間にどういう将来が待ってるかというと。
シャープは売上のツメは超が付くほど厳しい会社だったので、営業マンは皆身を粉にして働きました。これに関しては私も例外ではありませんが、やはり個人差というものはあります。伊藤課長辺りになると、毎月の〆には、1円でも売上が欲しい。売上伝票が舞ってくる夢を見る。休日を返上しスカイホームの店頭応援に行ってでも、自分の売上目標を達成しようと努力する。精神的に追い詰められる。だから会社からはそれなりに頼りにされるし評価もされる。万年営業課長なら良かったと思うけれど、努力が認められて営業所長になった辺りから様子が変になりました。真面目な人ほど会社の要求にこたえようと無理するし、追い詰められる。精神的に限界まで追い詰められた彼は、ある日単身赴任先のアパートで冷たくなってましたね。脳溢血でした。何事もほどほどにやらないと痛い目に遭います。私のように大雑把な人間には無縁の末路ですが、生真面目な人間には残酷な会社であります。朝どんだけ遅刻しても、営業課長が迎えに来るまで寝ていようという私はやっぱり肝が据わってる。多分同じ立場だったら売上なんか気にせずに普通に暮らしてる。否、気にはするそぶりは満開だったと思うけど、所詮気にするそぶりだけで終わるだろうから脳溢血にはならないと思う。真面目な人間は、会社の要求になすがまま、言われるまんまで死にいたることになるけれど、このときほど何事も適当にやらなアカンわって思ったことはない。
真面目に生きる必要はない。
6年間くらいは直属の上司だったので、彼の死は驚きましたし慕われていた部下からの悲痛な叫びは私の耳にも届きました。直前まで売上が届かないことに苦しんで思いつめていたことが原因のようですが、会社の為に。全ては売上げの為に自分の人生を捧げるという考え方が私には理解できないし、やるつもりもない。「○○君よ!あと5万円やないか?」。「あと5万円で売上が達成できるんだったら、俺だったら自分で商品買うで」って言ってた先輩の言葉が理解できません。押入れを開けると、会社の商品がどっさり落ちてきたこの人の頭には自爆営業も辞さずといった自衛隊や特攻隊の精神が未だに宿っているものと思われますが、そこまでして会社の為にやらなアカンのか?まっこと不思議だったのはその会社で働くと、皆が「売上」の為に自分の人生を棒に振るのが当たり前みたいな気持ちになっていたという事。これが学生時代と社会人との違いなのかと思った時期もあったけど、冷静に考えるとやっぱりそれは違うと思う。会社勤めをして何年か経った頃には、自分は何の為に生まれてきたんだろうと思うようになっていった。普通の子に生まれて平凡な学生時代を過ごしたまでは、生きるという事に幸せだとか有難味も感じていたけれど、この会社に入ってからは全てが暗黒でまさに精魂も尽き果てるという感覚。まさか俺はこの会社の骨になるために生まれた訳じゃないよねっていう思いが、売上の為に身を粉にしてやらねばならないという周りの人とは一線を画するようになっていった。遅刻しても上司が起こしに来るまで寝ていようと思ったチャランポランな私だからこそ今こうして生き残っているものと思いますが。まあ大雑把で適当な人間の方が長生きすると思う。きちんとやるべきところはやらなアカンけど。会社勤めとか、年金とか保険とか先を見越した「規律」は必要なれど
何事もほどほどに、楽しく生きよ。
死んだら元も子も無いのだから。
それでは実践報告をどうぞ。
このテーマに続けてパチンコはどうか?って思うのでわざわざ分けて書きました。
コメント
いや〜…今回のお話は堪えますね。。
昔の自分にこのブログを読ませたかったです。私も営業職では無かったのですが末端の小売の人間でしたので毎月のノルマが本当に嫌いでした。
伊藤所長のような生真面目さは無かったのですがプレッシャーには弱かったので今月は乗り切れても来月は?再来月は??会議がある月はどうするか…とか毎日がグルグルの連続でした。
死んだら元も子もない。ほんとそれです。
ピカ吾郎様
売上のツメって嫌ですよね。
私は1か月終わった数字が、自分のノルマだって思ってたので売上が達成しようがしまいが、そんなもんどっちでも良かったです。でも周りはそうじゃなかった。手段を選ばない姿勢が異常だった。
宗教でも何でもそうだけど、異常な集団の中にいると思ったときは自分独自の物差しで行動しないと取り返しがつかないことになる。間違った生き方が正しいという錯覚を起こすと人は皆何かにとりつかれたように会社の意のままになる。
ブラック企業というよりは、自衛隊か宗教集団。
そんな感じの企業でした。
昔のことしかしりませんが、これが普通でした
いまは、どうなってるんだろう
ゴーニィ様
ちょっと話を大きくし過ぎかも知れませんが、資本主義は国家発展の大きな原動力になる反面、永遠に右肩上がりの繁栄が続く幻想を追い求め個人の犠牲が避けられない負の側面も大きいと感じます
私は結構、転職や会社の移動を経験し比較的早い時期に組織を俯瞰、ある意味冷めた視点で見ていた様に感じます
しかし組織に所属している間はやむなく理不尽な方針や高圧的な上司等に従わされたり、悪意に悩まされたり俯瞰している積もりでも組織の価値観や慣例に影響される事は少なからず、今となっては良い経験と思えますが当時はかなり辛いものでした
最近は「鈍感力」などと表現する事もある様ですが、幾らやっても出来ないものは仕方ないと開き直り、精神や身体の健康を守るのも大事だと痛感しています
ご定年以降もどうぞお元気でお過ごしください
長崎様
元シャープの社員ですか?
今そんなことしてたらパワハラで訴えられますよ。
当時のこの会社は日本全国この光景が普通でしたねえ。時代が時代なんでしょうけど、企業というよりは自衛隊でした。アトム隊隊長という人が結構存在力を持ってたから。それでもあの時代のアトム隊研修は、もう一度やってみたいという気持ちもありますがね。
不思議な集まりでした。
村上亀吉様
<転職や移動を経験し、組織を冷めた目で見ていた>
私も同じですよ。
<しかし組織に所属している間はやむなく理不尽な方針や高圧的な上司等に従わされたり、悪意に悩まされたり>
これも同じですよ。
<今となっては良い経験と思えますが当時はかなり辛いもの>
何から何まで同じですよ。
あの時代はどっこも大なり小なり、私が経験したのと同じような企業が多かったんでしょうかね。バブルがはじける前の日本は異常だったし、戦後欧米に負けまいとして発展途中の日本は異常だった。
でも不思議なのは、今の会社に来てからは全くそういうところがなくて、平和な毎日なんすよねえ。
その平和ももうすぐ終わるけど。
何だか心にポッカリ穴が開きそうです。ここの皆が相手してくれると結構助かるなあ。