playback2002〜神ってたあの頃に〜
電話した。
数時間後、折り返しの電話が掛かってきた。
そんなあの頃の話。
ここからが本題のプレイバック2002編。
当時、私は無職。今でこそライターとして書き仕事で生計を立てているが、当時はパチやスロを打って生活をしていた。
プロと言えばプロかもしれないが、プロ意識もなければましてやプロ気取りなんてものはまったくなかった。
朝の起きる時間も決まってなければ毎日打ちに行くわけでもない。
気の向くままの自堕落な毎日。努力なんてものは皆無。
する必要性も感じない。
それでも食えるだけのお金を稼げたのはヌルいパチ屋を知っていたからにほかならない。
周りもみんなクズだった。
みんなそれなりに勝っていた。勝てていた。今も超えられない壁、それがこの2002年だ。
今のプロは103〜104%の割を持っていると言われる。
日当にすればざっくり15000〜20000円程度。時給にして1200〜1500円くらいで、毎日休まず朝から晩まで稼働して月平均50万前後。
このご時世、金額だけを見れば悪くはないだろう。税金を引かれることもなければ、稼働稼働の毎日のためお金を使う暇もない。貯まる一方だ。
中には年収1000万を超える猛者もいるように、組織立って効率よく稼ぐ連中もいる。
自由気ままと思われがちなこの稼業も、実は案外そうでもない。休めば日当が得られないため、恐怖が常に付きまとい稼働依存症となって常に何よりも稼働を優先する。
そして人付き合いや趣味の時間がどんどん減り、そのことでさらに稼働依存に拍車がかかる。そしていつしか身体や精神に異常をきたす。そして思う。何のために打っているのか。
年々競争が激化する中、そういった意識も芽生え、足を洗うという選択をする人も当然いる。周りを見ていると、結婚を機にというのが一番大きなタイミングのように思えたりするが、そうではなく環境変化で足を洗わざるを得ないという人も多くいた。
思ったように勝てないという環境変化に。
今でもやることをやれば生活+αくらいの稼ぎは得られる。
ただ、これはホールの状況次第で、設定状況やライバルなどによって喰えてたホールも喰えなくなるというのはよくある話。
フットワークの軽い者なら喰えるホールを探して喰いつなぐのはできるが、そもそも楽して稼ごうとこの世界に入った者としては極力努力はしたくない。
そんな怠け癖は何年も続けた稼働により根っこ深く伸び、新たな一歩なんてそうそう踏み出せるものではない。
何より、来月も同じ額稼げるかどうかの保証もない。
今、そんなプロたちが一番危惧しているのが換金問題で、以前国会答弁で3店方式の換金方法は問題ないと認識しているとの言質を得たから安心したものの、法改正で今の貸玉料金の上限、パチ1玉4円、スロ1枚20円貸しにメスが入るともはやプロとして生計を立てるのは難しくなる。
ギャンブル依存症が叫ばれる中、単価が上がることは当然ないからだ。
10スロまでは生きていけるという声も聞かれるが、20スロがなくなり皆が皆こぞって10スロに流れれば当然競争が激化し、喰っていくことは困難になるはずだ。
そんな中、20スロあっての10スロと認識しているプロもいて、立ち回りに10スロさらには5スロも入れているとのこと。
なんでも、5スロはAT中とかでもヤメてく人がいたり、何も知らずに打って天井直前でヤメてくなんてのもあるらしい。
ライバルの多い20スロで少ない台を取り合うよりは精神的にも肉体的にも楽で、期待値も20スロと比べてそんなに遜色はないらしい。
プロにとって年々厳しくなるホール環境。
よく「昔は良かった」と言われるが、確かに昔は今とは比較にならないほど楽に勝てた……。
2001年に爆裂AT機の『獣王』が登場し、ホール内に爆裂AT機という新ジャンルが台頭し始めた。
AT機としては2000年の『ゲゲゲの鬼太郎SP』が最初で、この鬼太郎SPのATは1G純増約0.3枚で最大100G継続という非常にマイルドなもの。
ボーナスがメインでATはコイン持ちアップという補助輪みたいなものだった。
そこからいつしか1G純増10枚を超える爆裂AT機が登場し、ホールの主役になっていく。
獣王をきっかけとしたAT機ブーム。『コンチ4X』、『サラリーマン金太郎』、『アラジンA』、そして『ミリオンゴッド』がその流れを加速していく。
今も語り継がれる『ミリオンゴッド』が登場したのは2002年5月。
見た目からして異様だった。金色の筐体に、リール絵柄は赤青黄の7とGODのみ。
液晶上では、パチンコのように常に3つの数字が出現し、奇数が揃えば当たりとなる至ってシンプルなゲーム性だ。
仕様は、ボーナス非搭載のCタイプ。1G純増約10枚のAT「ゴッドゲーム」で出玉を獲得していく。
GOD揃いならAT500Gとなり一撃5000枚。
右リールに赤7が出現するSGGならAT50G×3セットで一撃1500枚。
それ以外のGGはAT50Gで500枚となる。
GOD確率は今にも続く8192分の1。
1日打てば1回は引けそうな確率で、身近な印象すら持ってしまう。SGGは4096分の1。
ゴッドと言えばこれら一撃フラグが代名詞となっているが、プロが狙っていたのは当然そんな偶発ではない。
ATは4つのモードで当選やストックを管理し、その中でも当選&放出率が高い天国モードを狙っていた。
天国モードの見極めはキンキンバキバキ。液晶で奇数テンパイが発生するとテンパイ音「キンキン」が鳴り、天国モードなら高頻度でこのキンキンバキバキが発生するためこれが続いている間は打ち続けるだけ。
至って簡単。攻略法と呼べる代物ではない。けど実際のところ、これだけで簡単に勝てたのだ。
この初代ゴッド。設定変更してもモード移行はしないが、ラムクリをすればモード移行抽選が行なわれる。
その際、十字キーでモードの選択も可能で、集客目的で意図的に天国モードを仕込むことも可能だった。ラムクリによってストックがなくなるものの、それ以上に天国モードの恩恵のほうがデカかったし、そして天国狙いの最中にたまに訪れるGOD揃いが収支を上振れさせてくれた。
それまでは、イベント対象機種を狙ったり据えのストックを狙ったりと日によって狙いは異なったが、ゴッドの朝イチ天国狙いが最も稼げるということに気づいてからは、毎朝とりあえず入場抽選を受け番号の早い遅いに関わらずゴッドのシマに飛び込むということを毎日飽きもせずやり続けた。
朝が苦手だなんて言ってられない。とりあえず自分に課したのは朝きちんと起きること。真っ当な社会人なら当たり前のことかもしれないが、当時のプロ連中はこれがなかなかできない。勝ったあぶく銭で飲みに行けば、その後キャバだ風俗だと遊び放題。
今の節制を重ねるプロ連中とは違い、使っても使ってもそれ以上に入ってくるもんだから、欲望の赴くまま金は気にせず遊びにも全力だった。
だから、寝ずに酒臭いまま並びとりあえず朝だけ天国狙いという連中もよく目にした。
個人的には連抜けや夜も狙い目だった。ゴッドを打っている客層は立ち回りうんぬんではなく一発GODを引いてやろうという連中が多く、連チャン後キンキンバキバキいっててもヤメてく人が結構いた。
そんな台を静かになるまで打つだけ。なんて簡単かつシンプルな立ち回りだろうか。けど、このゴッド、1000円で20Gほどしか回せないため、資金力に乏しいと打つのに躊躇してしまう。キンキンバキバキが200G続けば10000円は投資しているわけで、そこで天国を抜けて当たらず撤退なんてのも当然あり得る。
AT1回で500枚出るものの、その後も当然即ヤメなんてできないから、1回あたりの勝率は低かったように思える。時に来る大波をものにしてこそ、意味ある立ち回りだったとも言える。そう、たまにやってくるGOD揃いこそがボーナスだった。
そんな生活を続けていれば当然波はあるにせよ、勝てていた。最高は月150万ほど。3号機以前のネタプロに言わせれば大したことないが、技術介入機や設定判別でしこしこやってた頃にしてみれば月100万の大台突破は一つの夢だった。
ニューパルや花火で3000枚出ればガッツポーズだった時代を経験している者ならわかっていただけるだろう。その後、設定6がエクストラ設定と呼ばれる大花火やコンチ4Xなどが登場するが、そうそうツモれるわけはなく、結果的に当時一番の稼ぎ頭となったのがこの初代ゴッドであった。
天国を仕込んでくれてたホールが身近にあったからこうも簡単に勝ち続けることができたが、後々同業者と話をするとやはり人によって狙ってた機種が違かったりと、通っていたホールによって立ち回りも千差万別であった。
そんなゴッドの天国狙いは何カ月続いただろうか。ライバルが徐々に増え、その反面仕込みが減り、当然うまみもなくなりいつしか別の機種を主戦場に……。
そして翌年には検定取り消し処分を受けての完全撤去。一つの時代が終わりを告げた。
あの頃は良かった……のか。
稼ぐ手段としてスロと向き合ってる連中にしてみればあの頃は確かにいい時代だったのかもしれない。
今しか知らないプレイヤーからしたらうらやましいだろう。
けれど、今の長けたプレイヤーがその当時にタイプスリップしたとすればそれだけ競争が激化し、当時ほど稼げるとは思えない。真っ当な人生にツバを吐き、日陰での生活を選んだアウトローたちが辿り着いた道だったからこそ、寄り付きにくく見えない縄張り意識でなんとなくそれとなく機能していたのだと思う。
そんな時代を「playback0000」と題し、今後しばらく綴っていこう。
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