playback2001〜ケロってたあの頃に〜
近況と現状を知りたくて、あの男に連絡だ。
ここからがプレイバック2001編。
時代は2001年。
この年の大きな出来事と言えば、イチローが日本人野手として初めてメジャーに挑戦し新人王やア・リーグMVPを獲得したこと、9月のアメリカ同時多発テロなどが印象深いが、テレビもニュースもあまり見ない筆者としては、10月に登場した『キングパルサー』がエポックメイキングだった。
『キングパルサー』
キングパルサーと言えば、ストック。
ストック機といえばキンパル。
世間的にはあまり知られていなかったストック機という言葉。
それを一気に広めたのが、このキンパルだった。
ストック機自体は登場していた。
前年の12月にネットから登場した『ブラックジャック777』が初のストック機と言われる。このBJ777は、BBが成立すると33or777Gのストックタイムに突入し、逆押し適当打ちでボーナスをハズしながらボーナスの追加抽選も受けられるという画期的なシステムを搭載していた。
ストックタイム中にストックしたボーナスは液晶に表示され、ストックタイム終了後1G連として放出。
ストックタイム中はリプレイ確率がアップし1G純増約0.5枚の増加も見込め、それが777G続くようならストックしたボーナスを含め一撃数千枚も可能という爆発力を持っていた。
これに対し、2001年9月に登場したのが山佐の『スーパーリノ』。
裏モノ化し5ゲーム連チャンで人気だった3号機『リノ』のゲーム性を色濃く受け継ぎ、5G目の連チャン期待度が50%超というそれまでのノーマルタイプにはないシステムを有していた。BJ777から10カ月が経過し、ストックという概念自体は知れ渡っていたが、BJ777がストックしたボーナスを表示するのに対し、スーパーリノは内部的に貯め込む「シークレットストック機」だったため、導入当初はなぜ5G目ばかりにボーナスが集中するんだと不思議がるプレイヤーが続出。
その真相がよくわからないまま10月にキンパルが登場し、そしてまたもやボーナスの偏りになんだなんだとなったわけである。
リノは設置店が多くなかったため、キンパルでその異質な挙動に遭遇したプレイヤーも多かった。けれど打つ層は素人が多く、今で言う美味しいところでヤメていくことも多かった。
そう、ハマっている台を狙う、ボーナス直後を狙う、そんな立ち回りなんて今までなかったからだ。
2001年1月に登場した『獣王』で爆裂AT機ブームが到来し、その後もホールの主役はAT機。
そんな中、液晶もなければ薄っぺらいドットが付いたキンパルを打つ人は当然少なかった。
新台好きにも見放されたキンパルを打ち始めたのは、ニューパルサーから続くカエル好きくらい。
ニューパルは『北斗の拳』に抜かれるまでしばらく販売台数1位の座に君臨し続けた名機であり、総販売台数は約23万台と、現在でも初代北斗、北斗SE、押忍!番長、吉宗に次ぐ5番手として歴史に名を刻んでいる。
そんなニューパルは1993年に山佐初の4号機として登場し、以後シリーズ機が続々と登場している。
当時、ニューパルを設置していないホールはないというくらいの存在感だった。今でいうジャグラーみたいなものだろう。
なので、いつもニューパルばかり打っているニューパル爺さんは店に何人もいた。
そんなニューパル爺さんたちが、キンパルの最初の火付け役だった。爺さんから婆さんに、そして常連連中に。
今までシーンと静まり返っていたニューパルコーナーだったが、ドットでカエルが鳴き合唱が起こるほど客は増えていく。
キンパルが登場する5カ月前に『ニューパルサーT』という4thリールを搭載したニューパルが登場していた。
こちらは純粋なノーマルタイプ(Aタイプ)。
それもあって、キンパルもノーマルタイプと思いながら打っていたプレイヤーは多かったのだろう。
けど、リール幅が広がり、ドットもあって、なんか今までのニューパルとは違う感じがする。
しかも、ボーナスの前にはやたらとカエルが出現する。
今となっては当たり前の前兆演出だが、AT機などを打たない上、ニューパルしか打たない人にしてみれば前兆なんてものは想像だにしない。
うるさくなったら当たる。そんなオカルト的なものが実際には的を射ていた。
キングパルサーのシステムを改めて紹介すると、BBとRBを搭載したAタイプマシン。
ボーナスは成立すると一旦内部にストックされ、決められたゲーム数を消化するか、毎ゲームの解除抽選(揃わないリプレイの一部や純ハズレ)に当選すればボーナス放出となる。ボーナス放出のメインとなるのはゲーム数消化で、決められたゲーム数(STゲーム数)の最大1280G。なので天井は1280Gとなるが、ボーナス内部確率がそれほど高くないため1280Gを超えることもよくあった。
ボーナスのストックあり時となし時でSTゲーム数の振り分けが変化し、それが絶妙なスランプグラフを生み出していた。
そして、奇数設定は荒波、偶数設定は穏やかといった具合に今にも通じる奇偶傾向もまたこの機種から広まっていった。
連チャンは早ければ1桁、抜けても32Gまでがとにかくアツい。
そこを抜けると64G、128Gまでが連チャンゾーン。その次は256G、512G付近も一応の狙い目となり、そこを超えたら1280Gの天井を目指す。そんなストックがたんまり貯まっているだろうハマリ狙いが効果的で、昔ながらのノーマルタイプ打ちは当然ゲーム数など気にしないわけだからゾーンやハマリ台狙いに困ることはなかったというのがそのときの印象だ。
閉店チェックがモノを言う時代でもあった。キンパルは設定変更するとストックが1個消え、STゲーム数を再セット。
1000ハマリの台は据えでもリセでも美味しかった。
しばらくすると何度も設定変更してストック全飛ばしなんてこともあったが、それでも設定6を入れてくれるなら穏やかなノーマルタイプを打っているような感じで打てたので、ゾーン狙い、ハマリ狙い、6狙い、リセ狙いと様々な面から重宝した機種だった。
その後のストック機だけに留まらず、今のAT機まで続くゲーム数テーブル方式を広めたキンパル。
20年近く経っても色褪せないシステムになるとは、当時誰が予想できただろう。
そんな画期的なシステムをこの先の6号機にも期待したい。
(C)YAMASA